[ゴラン高原PKF違憲訴訟]中東問題研究者の証言 1

1998年3月20日 第11回口頭弁論

(注)ページ数の割降りは、紙の裏表を合わせて「1」と数え、裏と表の間は "---------------------------" で示してあります。


原本番号 平成九年民第八五〇号の二

速 記 録          平成一〇年三月二〇日
                      第一一回口頭弁論

事 件 番 号        平成八年(行ウ)第二〇号

証 人 氏 名        宇 野  昌 樹

原告ら代理人(内田)
甲第三一号証を示す
1  これは、先生の経歴・研究歴を箇条書きに書かれたものですね。
     はい。
2  特に訂正するところはありますか。
       ございません。
3  一九七二年に武蔵大学に入学されて、ずっとこういう研究をされてきたわけ
  ですね。
  ------------------------------------------------------------
       はい。
4  職歴としては、シリアの日本大使館、それからイスラエルの日本大使館、こ
  れは、日本外務省の専門調査員ということだったですか。
     シリアの場合は現地職員ですが、イスラエルでは専門調査員として仕
     事をしていました。
5  専門調査員というのは、イスラエルの日本大使館当時、どういうお仕事を具
  体的にされていたんでしょうか。
       政務班というところに所属しまして、パレスチナ問題の担当というこ
       とで職務に就いておりました。
6  あと、大学でもここに書いておられるように教えておられるわけですね。
       はい。
7  それで、専門といいますか、専攻というのは、どういうことになるんでしょ
  うか。
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       中東地域研究、特に宗教社会学を専攻しております。
8  2ページには、著書それから論文、学会のことが書いてあるわけですね。
       はい。
甲大三二号証を示す
9  「ゴラン高原訴訟資料、宇野昌樹」と書いてありますけれども、これは、先
  生が書かれたものですか。
       はい、そうです。
10  これは、一枚目、二枚目は、ゴラン高原を巡る問題点を指摘したものですか。
      はい、そうです。
11  三枚目は以下は、アラブとイスラエルのにおける出来事の年表ですか。
       はい。
12  それも何か訂正することありますか。
       ございません。
  ------------------------------------------------------------
13  それでは、本件はゴラン高原に日本の自衛隊が派遣されているということが
  憲法違反ということで争われている事件なんですけれども、そもそもゴラン
  高原という所は、どういう所なんでしょうか。甲第三二号証で、ここに「ゴ
  ラン高原−概要」と書いてあるんですが、かいつまんで言うとどういうこと
  になるんでしょうか。
       現在ここは、一九六七年の六月に勃発した第三次中東戦争によってイ
       スラエルがシリアを占領し、現在に至るまで占領を続けている地域で
       あると、その占領面積はその資料にありますように約一一五〇キロ平
       方メートル、これは東京都の約半分に当たりますが、その部分をイス
       ラエルは今日に至るまで占領し続けているということです。
14  ここに「イスラエルが現在占領している土地面積は、約8580km2で自国国
    土の約42パーセントに達する。」とありますが、こういう内容ですか。
       はい、そうです。
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15  ゴラン高原といいますと、イスラエルとシリアとの停戦ということで、イス
  ラエルとシリアとの国境に停戦監視帯が展開していると、そういうような誤
  解をされることもあると思うんですけども、実際はどうなんですか。
       現実に、現在国連の兵力引き離し監視軍、これはUNDOFと言われ
       ていますが、ここに自衛隊が派遣されて活動を行っているということ
       ですけれども、彼らが展開している場所はイスラエルが先ほど申し上
      げたように一九六七年の第三次中東戦争によって占領した地域、その
     あとは七三年に第四次中東戦争が起こっているんですけれども、現在
     のラインは、七四年の第四次中東戦争の際に引かれた停戦ライン、そ
     この所でUNDOFは活動を展開しているということですから、イス
     ラエルとシリアの間の国境ではありません。
16  そうすると、シリア国内に入って、シリアの国内における被占領地とシリア
  の占領に入らない所で展開しているということでしょうか。
  ------------------------------------------------------------
       はい、そうです。
17  元々このゴラン高原という所は、これはシリア国であるわけですね。
       はい、そうです。
18  ここはどういう土地ですか。
       ここは、オスマン帝国時代にさかもぼるというとあれですが、元々非
       常に農耕に適していた地域、それも特に中東は乾燥地帯で、水資源が
       非常に乏しい、一般論で言いますとそういう地域なんですが、その地
       域の中にあって、このゴラン高原は、平均標高が六〇〇メートルほど
       あるということで、冬には雪も降る、降雪もあるということで、非常
       に水が豊富であると、古くから農耕が盛んに行われていた地域です。
19  そうすると、かなりの数の村もあったんでしょうか。
       はい、約100強の町村があったと思います。
20  甲第三二号証の年表によりますと、三枚目、一九六七年の六月に第三次中東
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  戦争が勃発した以降、ゴラン高原が占領されるということですが、占領され
  るようになって、かなりゴラン高原の地域は荒廃したんでしょうか。
       イスラエルは占領後、まだ多くの住民が残っていたんですけれども、
       住民を追放する意味から、家屋を破壊したり、あるいは食糧や水の供
       給をストップするというような形で、残っていた住民も多くは追放の
       憂き目に遭って、現在難民としてシリアの首都ダマスカス近郊やある
       いはゴラン高原からさほど遠くないような所に難民として生活してお
       ります。
21  甲第三二号証の先生の記述によりますと、1ページのところに占領以前の人
  口は約一五万ということが書いてあるんですけれども、これが、イスラエル
  によって占領されてから以降、どんどん減っていくわけですか。
       ええ。最終的には八〇〇〇人がイスラエル側から認められて、残留が
       許されて、今日に至っているとうことです。
  ------------------------------------------------------------
22  一九六七年の六月の第三次中東戦争での占領ということですので、今から約
  三〇年以上前ということですね。その三〇年間にこのシリアの国土であるゴ
  ラン高原が、村が破壊されて、人口も減ってきていると言うことですか。
       はい。
23  それは、シリアの人たちが追われ、難民になっていくと、村が破壊されると
  いうことだけですか。逆にイスラエルの側の進出というものもあるんですか。
       はい。イスラエルは、占領をこのシリアのゴラン高原をまず戦略的に
       非常に重要な地域であるということから、入植地を停戦ライン沿いに
       建設して、その後、入植地の数を増やし、現在に至っているというこ
       とです。
24  停戦ラインがあって、UNDOFの活動があって、第四次中東戦争以降です
  か、UNDOFの活動は。
       はい。
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25  現地では戦闘が行われていないようなんですけれども、実際問題としてのイ
  スラエルのユダヤ人とアラブの人たちの間の緊張関係というのは、あるんで
  しょうか。
       それは、ゴラン高原においては、旧シリア住民というとあれですが、
       シリア人であって、イスラエル軍当局側から残留を許されたシリア人
       これは現在約一万七〇〇〇人ぐらいというふうに言われているんです
       けれども、その多くは現在に至るまで国籍の取得を拒否し続けて、無
       国籍状態であると、これをイスラエル側は現在に至るまで国籍を取得
       させようということで、強引な政策を取っているという形で、表面に
     は出ませんけれども、常にイスラエルの当局、特に軍当局とゴラン高
     原に残留したシリア人との間の緊張関係は、今日に至るまで続いてい
     ると言えると思います。
26  ソ連邦の崩壊があって、かなりロシアからユダヤ人が出ていっているという
  ------------------------------------------------------------
  ようなことも聞くわけですけれども、そういったことも、このゴラン高原の
  イスラエルとアラブとの緊張には影響しておりますでしょうか。
       はい。これは特に一九八九年のソ連邦崩壊、それ以前からですけれど、
       旧ソ連は、国内にいるユダヤ人に対して出国を認めるという形で多く
       のロシア系の、あるいはソ連系といってもいいんですけれども、ユダ
       ヤ人が大挙してイスラエルに来ると、イスラエル側は、その建国以来
       の一つの重要な政策として、自国のユダヤ化をするということでユダ
       ヤ人の人口を増やすことが最も重要な政策の一つであったし、現在で
       もそうであると、そういった政策に今かなう形で、ソ連からのユダヤ
       人の移民になったと、この移民をどこに受け入れるか、どこに生活の
       場所を見いだすかということで、私は一九九〇年から一九九三年まで
       現地にいたんですけれども、その間の紙面をにぎわせていたことに、
       ソ連系のユダヤ人をシリア、被占領地、ゴラン高原で生活させるとい
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     うことを強調していたように記憶しております。
27  そうしますと、日本の自衛隊が派遣されているゴラン高原というのは、表面
  的にはそういう武力衝突は起きていないけれども、その深層においては、緊
  張感はどんどん高まっている所ですか。
       はい。特に一九六七年、一九七三年の第三次中東戦争、第四次中東戦
       争を経験して、特に七三年以降、実際には表だった衝突事件はこの地
       域で起こっておりませんが、ただ、中東情勢において、例えばイスラ
       エルが推進してきた占領地における入植地建設、これは、西岸・ガザ
       でも同様ですけれども、中東情勢に大きな不安定要因を生み出す最大
       の事柄と言ってよろしいかと思います。
28  ゴラン高原は、武力衝突はないということなんですけれども、この周辺、例
  えばレバノン、日本の自衛隊の後方支援ということで輸送ルートもあるよう
  ですが、レバノン辺りでは武力衝突はあるんですか。
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       レバノンについては、新聞紙面でもにぎわしておりますように、これ
       は、七八年に最初にイスラエルがレバノンに侵攻し、八二年に南レバ
       ノンに展開していたPLO、パレスチナ解放組織ですが、彼らの基地
       をつぶすために最大規模の侵攻をし、これは七八年以降なんですけれ
       ども、イスラエルの安全保障地帯、要するに、レバノン側からの対イ
       スラエルの敵対行動を阻止するというねらいから、イスラエル側がレ
     バノン領内に安全保障地帯と言われる、イスラエル側が言っているわ
     けですが、地域を作って、ここに親イスラエルのレバノン兵士をイス
     ラエル軍が支援し、共同で安全保障地帯を守るという形で、維持して
     参ったものなんです。
29  そうしますと、レバノンではそういった紛争状態が生じているということで
  すね。
       はい。
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30  それで、さかのぼるんですが、そもそもこういったパレスチナ問題といいま
  すか、イスラエルとアラブのこういった紛争問題の根源というのは、どこに
  あるんでしょうか。どこにボタンのかけ違いがあったんでしょうか。
       これは、日本の専門家で研究者も指摘していますように、特に中東紛
       争の最大の要因は、一九四八年にイスラエルが独立宣言をし、第一次
       中東戦争が勃発すると、要するに、イスラエルの建国そのものに、中
       東情勢の不安定要因を生み出す最大の理由があったということです。
31 そうすると、一九四八年のイスラエルの建国、イギリスが引き上げた直後に
  その戦闘が始まるわけですね。
       はい、そうです。
32  そういうことが起きて、ずうっと今日まで至っているわけですが、その根本
  の原因というのは、どこにあるんでしょうか。
       これは、やはりヨーロッパで特に一九世紀以降吹き荒れた反ユダヤ主
  ------------------------------------------------------------
     義、これは、ヨーロッパ社会で解決出来ないということで、これをア
     ラブ社会で解決させるというとあれですが、イスラエルという国をユ
     ダヤ人は、ヨーロッパの世界からなるべく多くのユダヤ人を放逐して
     それをもってヨーロッパにおけるユダヤ問題を解決すると、ですから、
     そういう意味では、イスラム社会、アラブ社会といってもいいと思う
     んですけれども、パレスチナという地にイスラエルの国を建国するこ
     とを通して、ヨーロッパにおけるユダヤ問題の解決を図ったと、そこ
     に最大の原因があると思います。
33  そうしますと、ヨーロッパにおいて、ユダヤ人との共存といいますか、そう
  いう問題が解決されずにアラブの地に押しつけられたと、端的に言えばこう
  いうことでしょうか。
       はい、そうです。
34  それで、この甲第三二号証の年表にもありますように、3ページですけれど
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  も、第一次中東戦争からずっと第四次中東戦争まであるわけですね。
       はい。
35  そのうち、ゴラン高原に関するものとしては、一九六七年の第三次中東戦争
  これが一番大きいものであるわけですか。
       そうです。
36  それで、日本の自衛隊はその停戦の監視隊の後方支援だということで行って
  いるから、その憲法の九条の理念に反しないんだというような説明をなさる
  わけですけれども、そもそも停戦の監視というものですね、これは、当初つ
  まり占領当初の問題とそれから現在とで何か変わってきてしまっているんで
  しょうか。
       はい。それは最も重要な問題だと思うんですけれども、七三年の第四
       次中東戦争、それから翌年にシリア、イスラエル間の停戦議定書とい
       いますか、停戦協定が成立し、その下に、その停戦を維持するために
  ------------------------------------------------------------
     UNDOFという組織が設立され、そのUNDOFの活動がその時点
     ではイスラエルとシリアの間の戦闘あるいは戦争を防止する目的で設
     置された組織だということです。
37  そうしますと、UNDOFは、戦争をとりあえず止めると、しかし、それだ
  けでは目的を達するというではなかったんですね。
       はい。
38  そうすると、戦争止めた上でどういうことが期待されたんでしょうか。
       最大のものは、やはり包括的中東和平の解決と、これは、一九六七年
       に安保理で決議された二四二号、これはイスラエルの占領力の撤退を
       要求した決議でありますけれども、その決議をイスラエルが履行する
       と、そういうことによって中東和平の実現を図ると、そこに停戦を維
       持するということ、いわゆる、戦争を未然に防ぐということは、その
       ような中東和平の実現に向けて設定されたと考えるべきだと思います。
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39  そうすると、具体的な中東和平の前提として、とりあえず停戦を実現しなく
  ちゃいけないと、それがUNDOFの役割だったわけですね。
       はい。
40  その後の具体的な解決に向けての国連での動き、安保理の決議で決められた
  そういうことは履行されたんでしょうか。
       残念ながら今日に至るまでイスラエルはシリアの領土であるゴラン高
       原を占領し続け、西岸・ガザも実質的にはイスラエルが占領し、又南
       レバノンも占領し続けているのが実情であるということです。
41  そうすると、今言われたような占領地からの撤退を求めている国連決議にイ
  スラエルは従っていないわけですか。
       はい、そうです。
42  イラクに対して今アメリカは、武力行使も含めていろいろな動きをしている
  わけですが、経済制裁等もしておりますね。
  ------------------------------------------------------------
       はい。
43  そういうような国連決議あるいは安保理の決議を守らないイスラエルに対し
  て、経済制裁なりそういったことがなされたことはないんですか。
       国の単位で、例えばアラブボイコットという、いわゆるイスラエルの
       製品をボイコットするという、国別の国の対応によって任されている
       わけですけれども、日本もやはりその石油政策というとあれですけれ
       ども、日本経済の生命線の石油を供給させる目的から、アラブボイコ
       ットに従ってきた経緯があります。ですから、それは、イスラエルの
       三品を購入しないというあれですけれども、アラブボイコットの委員
     会が指定した事項に従うということで、日本政府も一時期やって参り
     ました。
44  イラクに対するような強い形での経済制裁は、なかなかとられていないんで
  すか。
   _____________9________________

      それは、全くイスラエルに対しては取られたことはありません。
45  国連の安保理の決議二四二号というの、先ほど言われましたね。
       はい。
46 一九六七年一一月二二日に、この年表でも書かれていると思うんですけれど
  も、これは、もう一度言うと、イスラエルの占領地からの撤退と、そういう
  内容ですか。
       はい。
47  その後も、例えば、一九七四年五月に安保理の決議三五〇号というのがなさ
  れていますね。
       はい、そうです。
48  これは、第四次中東戦争のあとですね。
       そうです。
49  この決議によって、UNDOFが設置されたわけですけれども、ここでも二
  ------------------------------------------------------------
  四二号を守るというようなことになったんですか。
       それを前提とした設立だということです。
50 イスラエルは、そういった国連での動きに対して、全く従う意向がないわけ
  ですか。
       基本的には、この種の決議に対しては、拒否し続けてきております。
51  先ほど、ゴラン高原における入植地での活動を強めているということなんで
  すけれども、イスラエルはゴラン高原そのものを併合するといいますか、自
  国の領土にするといいますか、そういうような動きをしたことがありますか。
       はい。これは、一九八一年、イスラエルの国会クネセトで、ゴラン高
       原を自国の領土にするという、いわゆる併合法案を可決しまして・・
       ・。
52  甲第三二号証の年表の4ページを見ますと、八一年の一二月に「クネセトは
  ゴラン高原併合法案を可決。」と書かれていますね。
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       はい。
53  これが、そうですか。
       はい、そうです。
54  これは、国際社会から厳しい批判を受けたんじゃないんですか。
       はい。ご存じのとおり、多くの国々はこれは認めないという、いわば
       国際社会はイスラエルに対して圧力をかけたと、そういう経緯はあり
       ます。
55  どの程度の圧力をかけたんですか。
       特に国連の安保理で、これを無効にする決議案が提出されるというこ
       とが、その国際社会の反応を端的に表しているかと思います。
56  その無効にする決議案は成立したんでしょうか。
       アメリカの拒否権の発動によって、成立を見ることはなかったです。
57  イスラエルが、国連の安保理の決議等を無視してどんどんゴラン高原で入植
  ------------------------------------------------------------
  を強めてきているというのは、アメリカとの関係でも何かあるんでしょうか。
       表面的には、アメリカは入植地建設の現在続けている活動を一時停止
       しろと、特に西岸・ガザにおける入植地活動に対してそういう発言を
       イスラエルに対して行っております。ここでゴラン高原に対しても、
       中東和平の実現ということで考えれば、表面的にはアメリカ政府がイ
       スラエルに対して求めていることだと言えると思います。
58  そうすると、実際には違うということですか。
       実際、入植地の活動は、毎日のように入植地の拡張が続いているのが
       現状です。
59  イスラエルがゴラン高原を併合したと。ゴラン高原に住んでいるアラブ人、
  シリア人ですか、それはどうなるんですか。そのゴラン高原を自分のところ
  の領土だとしてしまったわけでしょう。イスラエル法の適用をすると、その
  場合にゴラン高原の地に住んでいるアラブ人、パレスチナ人なんですか。
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       これは、シリア人です。
60  彼らはどうなるんですか。
       ここに特に重要な問題ということなんですけれども、イスラエルは、
       一九八一年のゴラン高原併合法の可決を受けて、シリア人というとあ
       れですけれども、一九六七年以降残留したシリア人に対して、このゴ
       ラン高原は、イスラエル側からすれば自国の領土であると、いわばこ
       の領土がイスラエルの領土であるということを国内的にも国際的にも
       宣伝する意味から、ここにいた住民に対して国籍の取得を強引に進め
       ていくという政策を取りました。これに対して、旧シリア人というこ
       とになりますけれども、多くは、自分たちはシリア人であるという主
       張から国籍取得を拒否し、残念ながらガジャルという、これはシーア
       系のアラウィーという教徒がほとんどがその住民でしめられているガ
       ジャルという村がレバノン国境の近くにあるんですが、このガジャル
  ------------------------------------------------------------
     の住民数百人は、イスラエル側からの圧力に屈して国籍を取得したと、
     そこで、私自身現地へ行きまして確認しております。
61  そうすると、八一年のその併合法案によって、イスラエルの国籍を取得した
  アラブ人も一部いると、で、彼らはイスラエル人と対等なんですか。
       法的には対等、そういうことだと思います。
62  実際はどうなんですか。
       ただ、実際にガジャルという村に行きましたときに、まず驚いたこと
       には、村が三重、四重ぐらいの有刺鉄線で囲まれておりまして、彼ら
       の生活の糧は、イスラエル国内のほうの小さな工場で働くなり、多く
       はそういう形でイスラエル北部の小さな町工場あるいは農業労働者と
       いうことになると思うんですが、そういう形で生活しているという話
       でした。ただ、家屋が非常に粗末で、ユダヤ系のイスラエル人の村落
       と比べると非常に貧しい感じがしました。
  _____________12________________


63  教育の機会均等とかそういうような問題については、どうでしょうか。
       イスラエルは、もちろん、すべてのイスラエル人に対して法的には教
       育の機会均等をうたっております。ところが、イスラエルが建国され
       た当時、多くのアラブ人が残留し、これは、いわばパレスチナ人にな
       るわけですけれども。
64  現在は、それが一五パーセントぐらいということですか。
       はい、そうです。一五パーセントぐらいのパレスチナ人が、イスラエ
       ル国内にいるということです。で、この一五パーセント近くをアラブ
       系イスラエル人、あるいはパレスチナ系イスラエル人、いろいろな呼
       び方があるんですけれども、彼らの教育が、例えばほかのユダヤ系イ
       スラエル人と比較して、機会均等法の下で平等な扱いを受けているか
       というと、いろんな形で不利な状態に置かれていることは、現地のパ
       レスチナ系イスラエル人ですけれども、多くの人たちの声を実際に耳
  ------------------------------------------------------------
     に致しました。
65  そうすると、イスラエル国内における少数民族の特にパレスチナ人に対する
  関係では、必ずしも平等とは言えないと。
       はい。
66  そこで、元々アラブの地において、よくイスラエルとアラブとの共存という
  ようなことが言われると思うんですけれども、この共存ということについて
  イスラエルの側とアラブの側とで理解が違いますか。
       私が現地で生活した感覚から申しますと、まずイスラエル側ですけれ
       ども、イスラエルは建国の背景あるいはユダヤ人自身が置かれていた
       状態といいますか、迫害の歴史がありますし、ナチズムによる大量虐
       殺の経験を踏み、イスラエルの国をようやく建国したと。で、こうい
       った国を建国し、これを維持するという上で、すべてのことにそれが
       優先されると。ある意味では、国粋主義あるいは国家主義的なイデオ
   _____________13________________

      ロギーが、イスラエルの国民の多くの方々が抱いていることではない
      かと。で、そういう下で、端的な話というのは、ユダヤ機関報、これ
      は世界にちらばっているユダヤ人、彼らがイスラエルへ戻ることを求
      めれば、容易にイスラエルに入国し、イスラエルの国籍を取り、イス
      ラエルで生活が出来ると、ところが、それ以外のものに対しては例え
      ば四八年の戦争のときに追放された多くのパレスチナ難民、彼らの帰
      還は一切認めていない。そういうところに、イスラエル側のほかの民
      族あるいはほかの宗派に対してのかかわり方というものが、端的に表
      れているんではないかと思います。
67  アラブといいますと、アラブの過激派というような新聞の見出し等が出てき
  て、なんとなく共存ということと遠いような、原理主義的な人たちが多いよ
  うな印象を受けるわけですけれども、アラブの側における共存という考え方
  はどうなんですか。
  ------------------------------------------------------------
       これは、歴史的に見まして、例えばリベリア半島、これは、現在のス
       ペインやポルトガルに当たりますけれども、これは、イスラム一五世
       紀末ぐらいまでイスラム世界が広がっていて、ここではユダヤ人とユ
       ダヤ教徒、ここでユダヤ人をどう規定するか、あるいはユダヤ教徒を
       どう定義するか非常に難しい問題で、例えば、イスラムの世界の中で
       イベリア半島に見られたユダヤ教徒とイスラム教徒の共存、あるいは
       オスマン帝国期におけるユダヤ教徒あるいはキリスト教徒、そしてイ
       スラム教徒の共存、こういった体制が長い間培われてきたというのが
       一般的な見方、これは非常に重要な点だと思うんですけれども、これ
       を壊したのがヨーロッパの帝国主義によるオスマン帝国の解体、その
       植民地化、あるいは敵国主義的な支配、そういう下で、そういった共
       存の関係が大きくゆがめられ、壊されたということがあるんじゃない
       かと思います。
  _____________14________________

68  そうすると、そういうふうにアラブの地における共存ということについても
  イスラエルとアラブとの間で大分そごがあるということになりますと、そも
  そもこの停戦ラインの持つ意味についても、イスラエルとアラブとでは違っ
  てくるわけですか。イスラエルでは、この停戦ラインをどういうふうに位置
  づけているわけですか。
       まず重要なことは、その入植地を建設したということ、そしてそれを
       拡張したということは、やはり、自分の領土に組み入れる。いわば自
       国の領土化を進めてきたと、それをやはり端的に示しているのが、八
       一年のゴラン高原併合法案、その可決ということに表れていると思い
       ます。
69  そうすると、イスラエルにとっては、今の停戦ラインの維持ということは、
  既成事実を積み重ねる上では役立つわけですか。
       非常に重要な意味を持っているということです。
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70  アラブの側にとってみると、その停戦ラインというのは、どういう意味を持
  つんですか。
     あくまでもイスラエルとの和平が実現された時点で、イスラエルがシ
     リア側に返還するという領土であると、シリアの領土であるという認
     識で一致しているということです。
71  そうすると、停戦ラインが今のままでいくと、既成事実がますます固定化さ
  れてしまうという危機感があるわけですか。
       非常に強くあると思います。
甲第三三号証ないし三六号証を示す
72   甲第三三号証の地図は、シリアの地図ですね。
       はい、そうです。
73  ゴラン高原の部分ですけれども、国境線はどうなっているんですか。
       これは、六七年以前の、シリアが自国であったときの国境、国際社会
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       で認知されたボーダーを記入しております。
74 この湖はなんというんですか。
       ここにはチベリアとありますが、日本ではガリラヤ湖と言っておりま
       す。
75  そこに緑色の線で走っているのが国境線ですか。
       はい、そうです。
76  このシリアの地図と甲第34号証、これはオーストリア作成の地図ですね。
       はい。
77  これを見ますと、ゴラン高原の国境線の位置は同じですか、違いますか。
       これは、シリアの政府が作った地図と一致しております。
78  そうすると、シリアの作った地図の国境線というのが、国際的には認められ
  ているということですね。
       はい、そうです。
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79  イスラエル側の地図ですが、甲第三五号証、これは、どこでの地図ですか。
       イスラエル観光省が出版している地図です。
80  表紙を見ますと、ゴラン高原の位置はイスラエル領に組み込まれているわけ
  ですか。
       はい。このちょうど皮肉にも平和の象徴のハトをもじって、表紙にし
       て作られた地図ですけれども、まずゴラン高原は自国の領土に組み込
       まれているということ、又ゴラン高原に関係しませんけれども、西岸
       やガザが、ここでは点線となっていることに注意していただきたいん
       ですけれども、ガザを見ていただけば明瞭ですけれども、自国の領土
       になっているということです。
81  先ほどの湖、ガリラヤ湖のはるか右のほうからこの国境線が走っていると、
  この走っているというのは、停戦ラインの線ですか。
       ええ。いわゆる停戦ラインの線が国境線です。
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82  そうすると、イスラエル側は、シリアの被占領地を自国の領土として、停戦
  ラインを国境線として地図を作っているということですか。
       はい、そういうことです。
83  甲第三六号証、これは、日本にある会社の地図ですか。
       はい。ミルトスという旅行会社だと思います。
84  ミルトスというのは、どういう系列の会社ですか。
       これは、イスラエルと非常に関係の強い企業と、観光会社というふう
       に言っていいと思います。
85  この甲第三六号証の地図を見ますと、やはりこれもゴラン高原がイスラエル
  の中に組み込まれているわけですね。
       はい。明らかにイスラエルの領土というふうにして記されております。
86  そうすると、こういうイスラエル側から発行されている地図、あるいは八一
  年のゴラン高原併合法等から見て、停戦ラインが、今日ではイスラエル側か
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  らすると、国境というふうになりつつあるわけですか。
       ええ。そのように言えるかと思います。
87  冒頭甲第三二号証で、イスラエルの現在占領する地域は、同国の国土の四二
  パーセントに達するという証言があったわけですけれども、そういうイスラ
  エルの一九四八年の建国以来、半世紀ですかね。
       はい。
88 その中で占領し、それを国境にしていくという、そういうことだったわけで
  すか。
       はい。
89  それで、アラブの地におけるイスラエルとアラブの関係について大体終わら
  せていただきますけれども、そこで日本政府の対応ですけれども、日本政府
  は、今回、自衛隊をゴラン高原の地に派遣して、国際貢献しているんだとい
  うことでやっているわけですけれども、日本政府は、このアラブの地におけ
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  るイスラエルとアラブ人との対立の問題について、その解決についてどのよ
  うな役割を果たしてきたんでしょうか、歴史的に。
       これは、一九六七年、七三年、これが、第三次中東戦争、第四次中東
       戦争ですけれども、特に第四次中東戦争においては、石油の原油を禁
       輸措置という形で、日本に対して大きな圧力があって、日本政府特に
       外務省は、きわめてアラブ世界に近いスタンスを持った政策を長く続
       けてきたと、ところが、その政策が大きく変わってくるのは、一九九
       〇年の湾岸危機、翌年の湾岸戦争、その辺に大きな転換点があったん
       じゃないかというふうに考えております。
90  そうすると、第四次中東戦争のころまでは、日本政府は、アラブ側の政策を
  とっていたということですか。
       アラブ側といいますか、やはり、アラブからの領土というとあれです
       けれども、六七年にイスラエルが占領したシリア、エジプト、あるい
  ------------------------------------------------------------
     は西岸・ガザという領土をイスラエルが占領したという現実に対して
     は、やはり日本も厳しくそれを非難し、イスラエルが全占領地から速
     やかに撤退するように要求し続けてきたという経緯はございます。
91  一九七四年の五月三〇日に、当時の大平外相が、UNDOFの設立を受けて
  の談話を発していたようですけれども、覚えてますか。
       これは、シリアとイスラエル間の兵力引き離し協定が成立したことを
       歓迎するという、で、その下でイスラエルの全占領地からの撤退が、
       やはり中東和平の実現にとっては不可欠であると、それを強調した談
       話になっていたかと思います。
92  問題は、その談話の内容を実現するようなことを、日本政府がこれまでやっ
  てきたんでしょうか。
       やはり、外交上は、事あるごとにイスラエルの行動に対しては、文書
       あるいは口頭で非難するということは続けてきたことは事実だと思い
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