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警察中心のネットワーク

講演中 次に警察と各種事業者・法人などとの「ネットワーク」作りの問題です。都道府県警や警察が管轄地域内の警備会社等と協定とか覚書を結んで、何をするかというと、双方による事件・事故・「不審者」等の情報提供・通報体制を作る。例えば警備会社等が業務中、なにか事件・事故を発見したり、さらに「不審者」を発見した場合には警察に通報する。こういう協定を結んでいるわけです。
 ですから、いまや新聞配達員にしろ郵便局職員にしろ、警察官の手先として活動しているという側面があって、例えばコンビニが第二の交番になったり、配達員が第二の二輪警邏隊になったり、タクシーが第二のパトカーになったりするという状況になっています。最近ではヤクルトレディなんかも警察と協定を結びつつあって、私はこういう研究をしてますから、ヤクルトレディを見ると「あんたも警察の手先か」というふうに見てしまうんですけれども。あちこちこういう取り組みが進んでいるわけです。
 こういう人たちは、「不審者」に対しては「見知らぬ人への声かけ」をします。例えばつくば中央署・北署では郵便配達員と消防団員を「犯罪通報110番人」に任命しまして、その人たちは名刺を持っていて、「不審者」がいたら名刺を渡したり声をかけるんですね。私はドライブとかツーリングが好きですから、どこか地方に行って、ここは何もなくて気持ちがいいなとたたずんでいると、「あなた誰ですか」と声をかけられて、きちんと対応しなかったら110番通報される。安心してあちこち旅行ができなくなるかもしれない。そういうことです。
 警察と教育機関の連携では、幼稚園児に対しては「ちびっこ警察隊」や「チビッコ警察官」、幼稚園児に制服を着させてパトロールやチラシ配りをさせる。これ自体は直接の犯罪解決法じゃないんですけれども、例えば秋田臨港署では幼稚園児が「夜遊びはすべての非行の元」というチラシを少年に配っているんですね。夜遊びがすべての非行の元とは、まったく科学的ではないんですけれども。
 あるいは小中高校には「スクールサポーター」、とくに警視庁では2004年4月から警察官OBが派遣されています。警察官が非行対策にかかわる。また、学校と警察が児童・生徒の非行情報を提供しあう「相互連絡制度」を、各都道府県や市町村単位で導入してもらう。2005年1月までに20都道県で導入されています。例えば千葉では今年の8月に、千葉県内のすべての学校、国公立・私立の大学から小中高すべて、1504校で協定が結ばれたんですね。さすが管理教育が進んでいる千葉ですけれども。こういう県も出てきました。
 これは、反対すればけっこう防げるんです。横浜市の中田市長はこういうのが大好きだから率先して警察と協定を結んだんですけれども、川崎市の教育委員会は拒否して結んでいません。そしてこの間議論になったのは、神奈川県が県警と結ぶかどうかですけれども、これは県内の共産党や生活者ネット、神奈川新聞社、弁護士が反対の声を上げて、まだ結べていません。いま警察から学校にだけ連絡をする制度を導入するかどうかで検討しているんですけれども、中田と同様に青少年の健全育成の大好きな松沢知事が、相互連絡制度は必要だとして、審議会に対してもう1回検討し直せと言っているので、今後を注目しているところです。
 あるいは大学との関係でいうと、県警本部長が講義をする場合がある。高岡法科大と山梨学院大については把握しているんですけれども、法学部で講義をしています。
 警察と家庭との連携では、例えば宮城県警で小中学生対象の「防犯マン推奨運動」という取り組みがあります。各職場や各家庭に一人、防犯マンを任命して、防犯マンが戸締まりとか施錠、地域との連携、いろんな防犯等の行事参加をする。そしてとくに家庭については、宮城県警の方針として、「『自らの安全は自らが守る』という自主防犯意識や規範意識の高揚を呼びかけることが重要と考え、家庭や職場で防犯活動の中心的人物を定めるよう呼びかける『防犯マン推奨運動』を展開する。……特に、防犯意識や規範意識は、小・中学生といった少年期に身に付けさせることが重要であり、その貴重な思想が後世に受け継がれるようにとの考えから、家庭では、小・中学生を選ぶように呼びかけている」。すなわち子供を防犯マンに任命して、少年非行を防ぐと同時に、子供が大人を監視する。なんか文革のころの中国みたいですけれども、そういうことを宮城では始めているわけですね。
 あと警察とメディアとの連携では、例えば私が住んでいる神奈川では、神奈川新聞が2ページを県警に提供するような形で、防犯、あるいは「安全・安心まちづくり」についての企画をやっています。県警本部長やガーディアン・エンジェルスなんかが登場して、内容はもうまったく警察の言っていることに批判的なものはないですけれども。あるいはテレビ愛知では2004年度に4回、愛知県警が54分の番組を作りまして放送しています。柳沢慎吾や出川哲朗などを使って警察署インタビューをやったり、防犯が大事だという番組です。
 警察と自治体との連携では、とくに「生活安全条例」の制定に向けて、都道府県警から自治体へ警察官が出向している事例があります。千代田区の「生活安全条例」は、区内の4地域の防犯協会の会長や会長代理が「安全条例」を作る陳情をして、それを受けて制定にとりかかったものです。制定前に警視庁から生活安全部の警察官を千代田区の担当部局に出向させて、警察官が条例作りにかかわった。ですから警察主導で作っているのに、マスコミはそういうことを批判しないで、条例ができたことしか報道しない。
 あるいは神奈川県では昨年の12月に、県の「生活安全条例」が制定されたんですけれども、まず「安全・安心まちづくり推進課」という部局を設置して、常勤職員47人のうち5人は県警からの出向者で、課長も県警からの出向者。すなわち県警の警察官が主導して作った。こういうふうに自治体が警察に乗っ取られるようなことになっているのに、批判的な報道は見られないですね。
 あと似たような問題としては、竹花豊を東京都の治安担当副知事にするような、これは神奈川でも同様なことをやりましたけれども、こういうこともあります。
「寛容ゼロ」の社会
ハード面ですが、もう一つが「地域安全活動」というソフト面です。
 ハード面の方で参考にしているのは、アメリカの「環境設計による犯罪予防」とイギリスの「状況的犯罪防止手法」という考え方です。どういう内容かというと、監視性(監視を強める)、領域性(犯罪の及ばない範囲をきちんと確立する)、接近の制御(犯罪者が接近しないようにする)、被害対象の強化・回避(防犯対策を強めていく)、をキーワードとするものです。具体的には、道路、公園、駐車・駐輪場、公衆便所、共同住宅等で見通しの確保をすることや、監視カメラ等防犯設備を整備することです。
 これは犯罪を起こしにくい環境を作ることが防犯対策につながるという発想です。90年代に警察大学校編集で立花書房発行の『警察学論集』という雑誌に、警察官僚がアメリカやイギリスの研究をして紹介しています。こういう研究成果を受けて、方策としては「基準」とか「要綱」を策定していきます。とくに2000年に策定された「安全・安心まちづくり推進要綱」は具体的に、公園とか駐車場とか共同住宅等で見通しを良くしなさい、防犯灯の明るさを何ルクス以上にしなさい、エレベーターの籠内あるいは共通のフロア等にカメラを付けなさいという基準を定めたものです。実はこの要綱が出て以降の「生活安全条例」には、この推進要綱を実現するための規定が盛り込まれています。こういう形で、だいたい2000年ごろまでに研究・紹介の具体化が進んできます。
 もう一つの「地域安全活動」、ソフト面ですが、参考にしているのはアメリカの「コミュニティ・ポリシング」という考え方で、内容は、地域に警察官が積極的に入り込む、そして警察と自治体・住民・ボランティア団体等との連繋を進める。そして警察は基本的には事件・事故が起きてから活動し始めるんですけれども、それよりは予防先行的な活動を特に求める。
 この「コミュニティ・ポリシング」と関連して紹介されているのが、アメリカの「割れ窓理論」です。犯罪は小さな芽のうちに摘むという考え方、ビルの窓が一箇所割れていると、そこからどんどん犯罪者が入り込んでビル全体、さらには地域全体の治安が悪化するから、小さな窓1枚でもきちんと対応しなさい、という考え方です。
「ゼロ・トレランス」というのは、日本語にすると「寛容ゼロ」ということなんですけれども、これは日本の概念で言えば、軽犯罪法とか条例違反のような軽微な犯罪についても、重要犯罪と同様に徹底して取り締まるという考え方です。
「割れ窓理論」はアメリカでは1982年にジョージ・ケリングらが提唱して、ニューヨークのジュリアーニ市長が導入したわけですね。だから石原都知事もニューヨークに都の職員を派遣して、これの調査をしています。「ゼロ・トレランス」は徹底的な取り締まりを要求するので、これをやると市民から反発されるという危険性があって、各都道府県警で対応が分かれています。例えば大阪府の条例はこの発想が入っていますけれども、ほとんどの都道府県の「生活安全条例」ではこれを入れていないんですね。
 でも「ゼロ・トレランス」的な発想は、例えば最近のビラ弾圧事件に見られるように公安警察が似たようなことをやっていますし、交通警察に至っては2004年6月に警視庁が初めて自転車の飲酒運転で現行犯逮捕しました。自転車も道路交通法上は車両ですけれども、以前は自転車の飲酒ぐらいは注意で済ませていたのに、これからは場合によっては逮捕、厳しく取り締まるということです。皆さんもお酒を飲んだ後はへたに自転車に乗らないようにしたらいいと思います。
 地域の警察署では神奈川の平塚の事例なんですけれども、港は基本的に都道府県とか市町村、自治体が管理していて、立ち入り禁止のところもありますが、今まではそういう堤防で釣りをしていたら注意するぐらいで済ませていたのを、パトカーを10台以上派遣して、いちおう任意同行なんですけれども平塚署に連れて行って、人によっては夜まで事情聴取をするという、厳しい対応をしています。だから一部でこういう「ゼロ・トレランス」的な対応が警察に広がっているわけです。
半分以上の自治体に「生活安全条例」
 この二つの施策を推進するに当たって、強力な武器になるのが「生活安全条例」です。条例を作った方が自治体の責務が明確になるので、『警察学論集』等では条例を作った方がいい、必須の要件ではないけれども条例はあった方がいいと主張しています。
 一般的には「生活安全条例」と言いますが、いろんな名称があります。千代田区の場合は「生活環境条例」と言いますけれども、総称で「生活安全条例」という言い方をします。
 実は以前に全国防犯協会連合会、防犯協会の全国版ですけれども、そこのホームページで、北海道から沖縄までの「生活安全条例制定一覧」というものが載っていたんですね。これは非常に便利で、どこの自治体で何という名称の「生活安全条例」が制定されたか分かる。最終更新が2002年の10月で、約1200の自治体で成立していました。それ以降は全然更新されないので、全防連に電話をして「なんで更新しないんですか。どうしても知りたいですね」と聞いたら何か変な対応で、「情報が入って来ないからですかね」という対応でした。今の全防連のホームページでは制定一覧の資料はなくなっていて、警察庁のホームページでは公開していないので、正確にはどこの自治体でどういう名称の条例ができたか分からないんです。警察には情報は入って来ているはずですけれども。
 ただ、恐らく自治体の半分以上で制定されていますが、かつては3000を越える自治体があったのに、どんどん自治体の数が減っているので、そういう意味でも正確な数が分からない。
 いつから制定され始めたかというと、1994年に警察法改定によって警察庁に生活安全局を設置してからです。22条1号で、「犯罪・事故その他の事案に係る市民生活の安全と平穏」を仕事とする生活安全局を設置してからです。
 どういう内容が盛り込まれているかというと、さっき言った「コミュニティ・ポリシング」の発想ですけれども、自治体とか住民の事業者の役割とか責務の規定、こういうものが一体となって活動する。94年以降の初期の「生活安全条例」は、これだけの内容で、5から10条程度の非常に短いものだったんですが、2000年に「安全・安心まちづくり推進要綱」を作ってからは、「環境設計による犯罪予防」を入れた。すなわち、条例の中にカメラを設置しなさいとか、見通しを確保しなさいという規定を入れ始めた。あるいは千代田区のように路上喫煙等を取り締まる「ゼロ・トレランス」規定も入ってきます。
 大阪府の条例は、「棒状の器具を原則として携帯してはいけない」と規定していますが、バットとかゴルフクラブも棒状の器具ですね。だから「本来の用途に従い使用する場合を除き」という書き方になっている。皆さんが公園でバットないしはゴルフクラブで素振りをしようと持って歩いていると、警察に職務質問されて、所持の「正当な理由」をきちんと説明できないと検挙されてしまう。
 「生活安全条例」は類型としては2つあって、最低限モデル型、あるいは理念型と言えるようなものが初期のタイプです。2000年以降は総合型・規制型と言えるようなもので、地域によっていろんな「ゼロ・トレランス」規定を入れていますし、さらには罰則規定が入っている。改善命令や過料のような行政処分・制裁規定が入ったり、科料や罰金という刑事罰の規定を入れたりします。だから多種多様な、いろんなタイプがあるわけです。全防連の以前あった一覧で見ると、同じ時期に同じ都道府県で似たような名称の条例が一気にできているんですね。恐らくこれは都道府県警とか都道府県単位の防犯協会が一斉に要請して作っていると思うんですけれども、自治体によってはいろんなバリエーションが出てきます。
「不可視のまなざし」の効果
こういう取り組みにはどういう効果があるのか。
「環境設計による犯罪予防」の効果としては、従来カメラを付けるか付けないかは、マンション管理組合や店舗など、私人の判断でできるはずだったんですが、条例を根拠に警察が介入できることになります。そして警察と関係がある、すなわちその天下り先にもなっているセキュリティ産業の市場拡大をもたらす。そして地域住民の一定の安心感が生まれるかもしれません。さらに一定の犯罪抑止効果と犯罪解決効果も出て来るかもしれません。これはカメラの形態や設置方法によって異なりまして、はっきりカメラと分かる形のカメラや、「カメラを設置しています」という表示が出ていれば、犯罪抑止効果のほうが高まることになります。一方でドーム型カメラや、カメラ設置を明示していなければ、抑止効果よりは犯罪解決効果の方が一定の範囲で高まる可能性があります。
 地域住民の安心感について紹介しておきますと、スーパー防犯灯については「事業評価書」を今年の1月に警察が発表しています。2003年末までに20地区に240基のスーパー防犯灯を設置してその調査をしているんですけれども、この設置によって、スーパー防犯灯が付いた地域の約4分の1の住民が、スーパー防犯灯が整備されたことによって安心になったと感じている。もちろんこれは主観的な概念ですから、本当に安全が確保されたかは別ですね。安全は客観的な概念ですけれども、安心は主観的な概念ですから。安心感が高まることが安全につながるとは言えないわけです。
 でもこの「事業評価書」をよく読んでみると、「平成15年」中の活用件数は18件にとどまっている。これに対していたずら・誤報件数が830件です。20地区に240基を設置するには莫大な金がかかっているわけですけれども、1年間の活用状況を見ると18件にすぎない。いかにむだな買い物をしているかですね。それでもセキュリティ産業はしっかりと儲かっている。これはかなり利権が関係しています。
「地域安全活動」の効果ですが、地域における警察活動が拡大して、地域住民に一定の安心感をもたらします。そして一定の犯罪抑止効果と犯罪解決効果をもたらす。けれども、実はこれはなくてもいいんですね。さっき言ったように、主婦の方とかお年寄りの活動で本当に犯罪解決効果があるかといえば、ほとんどないんです。犯罪抑止効果は若干あるかもしれません。先ほど触れた警察と各種事業者・法人等とのネットワークによって行っている活動の従事者や、地域住民の自主防犯活動にかかわる人たち、つまり監視する側の逸脱行動を防ぐという効果はあります。すなわち本人たちが防犯活動にかかわっていれば、それを通じて自分が犯罪をしてはいけないという気持ちが生まれる。これは非常に警察としてはありがたい。
 そして両者を合わせての効果ですけれども、「不可視のまなざし」の内面化による地域住民の逸脱行為の防止があります。どういうことかというと、いまいろんな報道によって、駅とかコンビニとかあちこちカメラが付いていることを私たちは意識します。常にどこかでカメラに監視されているかもしれないという意識が、私たちに芽生えます。あるいは地域での自主防犯活動をしているのを実際に目撃したりして、どこかで誰かに見られているかもしれないと思う。常に私たちはどこかで監視されているかもしれないという気持ちが、自分の意識の中に生まれるわけですね。それが「不可視のまなざし」です。本当に見られているかは分からないですね。でも、そういう誰かに見られているかもしれないという意識から、逸脱行動をしてはいけないという効果が出て来るわけです。
 従来、監視社会論・管理社会論で言われてきたのは、ジョージ・オーウェルのいう「ビッグ・ブラザー」型の管理社会、中央集権的な管理社会だったんですけれども、今の管理・監視社会は「ビッグ・ブラザー」型ではない。以前は権力者が監視をしていたんですけれども、いま監視するのは警察官だけではなくて、郵便配達員だったり新聞配達員だったり、時にはヤクルトレディや子供であったりするわけです。すなわち偏在していたまなざしがあちこちに散らばっている。こういう社会を、例えばウィリアム・ボガードという人は「超(ハイパー)管理社会」と言うんですけれども、権力が分散し、そして相互に管理しあう、監視される者が実は監視する者になっている。しかも、とくに富裕層がそうですけれども、自ら監視されることを望む社会です。こういうことが日本でも進んでいるわけです。
 さらに併せて考えなければいけないのは、軍事と治安が融合化していく中、「テロ」対策の中で、監視とか管理の強化が着々と進みつつあることです。とくに2004年10月に政府が発表した「テロの未然防止に関する行動計画」で具体的な内容が出ていますけれども、「テロ」対策は日常的な防犯活動と連繋しています。例えば「あそこに中東関係者が住んでいますよ」とか、「朝鮮の人が住んでます」とか、そういうものを日常的に監視する。いざ有事になるとその監視網がそういう形でつながっていく可能性があります。

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