平和違憲訴訟の範疇で平和的生存権は一大論争点である。これまでに法律の専門家である弁護士が総力を挙げて、その「裁判の規範性」を主張してきた。
原告もこれまでに3回ほど、提訴人の末席に加わった経験がある。判決の結果は裁判所が知る通りであり、「争訟性」を認めず抽象的概念とさている。原告は、これまでの主張は正しく、弁護士の実力も抜群だと満足していた。では、なぜ敗訴に次ぐ敗訴なのだろうか?
原因の一つは、付随的違憲審査制の限界(非現代性)にあり、そのことを論点としない原告側の「平和的生存権」の矮小化にあるのではないかと考えるようになった。今回原告はこのことを主張の中心にして記述してきた。準備書面(4)において稚拙ながら、精魂の限りを尽くした記述したので新しい主張はないのだが、冗漫な文章を整理して再度訴える。
1.的確なる主張
イラクの開戦から現在に至るプロセス見るとき、原告の準備書面(4)の6〜7頁は、論説が至言であり引用が正しかったと自負したい。
- 日本憲法の立憲主義
書面の冒頭、浦田一郎一橋大学教授の論理を引用した。教授は日本国憲法の立憲主義は【人権+国民主権+軍事力の放棄】で、普通の国の立憲主義は【人権+国民主権+軍事力の統制】であると説かれている。原告は教授の説は素直に肯定できる。アメリカに盲従して開戦を支持、イラクまで自衛隊を派遣した。なおかつ多国籍軍にも参加したことは、日本の立憲主義の破壊である。それに加えて、国会審議なしの多国籍軍への参加は議会制民主主義の冒涜である。
- 開戦以降のイラク情勢
「戦争が一度起こると予想もできない方向へ展開することも多く、もはや民主的な統制は期待できない。政治的な判断や感情のみが、その場を動かすことになる。戦争に正しい戦争はありえず、すべて政治力と戦略の結合によるものである」「戦争は何を原因とするものであれ、なにを目的とするものであれ、その結末が悲惨で人間尊重とは対極に位置するものであるからこそ、戦争自体が不正なのである。戦争を安易に引き起こさないようにするすることは、人間の英知なのである」(植野妙実子中央大学教授)
- 平和的生存権」を独自の憲法上の権利=人権として構成すべきである。そうすることが、平和を単に国家の政策としてではなく、人権として位置づけている日本国憲法に適合する。
- 平和の阻害それ自体が権利(人権)侵害。
ア.長沼訴訟一審判決では、「一朝有事の際にはまず相手国の攻撃の第一目標になるものと認められる」からと、基地周辺住民の平和的生存権が侵害されることを認めた。この画期的判決にも浦部教授は満足しない。有事に攻撃を受ける危険性を、平和的生存権の侵害と捉えるのは、あまりにも個別的な現実
的利益のレベルに平和的生存権を矮小化している。
イ「兵隊にとられる」「軍事目的で財産を収容」「まさかの時の攻撃」とかの不利益は確かに、日本国憲法のもとで、国民に強要することの許されないものである。しかし、日本国憲法の平和的生存権は、こういった目に見える具体的な不利益を排除するだけの権利ではない。そういう現実的・具体的な形の不利益が国民に及ぶか否かにかかわらず、むしろ、それ以前の問題として「平和」の阻害それ自体を権利(人権)侵害と位置づけることによって、国による「平和」阻害行為を排除しようとするのが、日本国憲法における「平和的生存権」の考え方であろう。.
ウ.したがって、国が戦争や武力行使を行うことはもちろん、軍備を保有することも平和的生存権の侵害となる。
- 「平和的生存権」の内容の明確性
憲法前文で確認された平和的生存権は9条によって具体化されているのであり、9条が平和的生存権の具体的内容を示している。
ア.9条の規定は、他の憲法条項よりはるかに明確であるから、平和的生存権は他の人権よりもはるかに明確な内容をもっている。
イ.平和保障は人権保障であり、具体的に平和を保障する9条を人権条項とみることは、重要なことであり決しておかしくない。(以下、準備書面(4)12〜13頁参照)
3.成熟性
成熟性とは、訴訟が司法判断に適する程度に至っているか否かを問う概念である。
成熟性の検討事項は、通常の訴え提起の要件では裁判所による憲法判断が得られない訴訟について、特別な要件を構成する基盤にならないかと言うことである。
平環境権訴訟のように、環境が破壊されたり環境に変化が加えられてからでは回復が困難なため救済が得られない場合がある。政教分離違反と思われる儀式が終了してからでは、裁判の意義が薄くなる。平和的生存権を訴因とした訴訟も、これと非常に類似して、回復不可能な権利であるといえる。これらの場合、憲法訴訟の目的である憲法価値の具体的実現ないし憲法秩序の形成ということに照らし、成熟性を認めて、裁判所が憲法判断を下す余地を広げることを期待したい。
4.具体的な平和的生存権と被害法益
- 条文解釈以外にも平和的生存権の実態をを証明することは可能であると考える。それは、理屈でなく平和的生存権の明記された憲法を保持する国家と保持しない国を比較することによって明瞭になる。原告は、隣国の韓国の軍のヴェトナム戦争参戦を中心に世界最強の軍事国家アメリカの青年の戦死者も採録記述した。(準備書面(4)15〜16頁参照)
- 被害法益について
原告は、正直に告白して、個人の具体的権利侵害に付いての主張に積極的になれない。
理由は、繰り返しになるが、現行の制度下で、何をいくら熱心に主張しても「精神的苦痛が社会通念上受認すべき限度を超えたと評価されるためには、一定の特殊な地位にあること等」には該当しないと思うからである。なぜなら、特攻隊員の生存者(信太正道)の精神的苦痛も、中国大陸の捕虜経験者(元山俊美)の精神的苦痛も「社会通念所上受認可能」と判断されているからである。
それでも原告は、現行の審査制度で裁判所の判断を仰ぐことで提訴したのであるから幾つかの精神的苦痛を訴えて「魂の苦痛」などとキザな文言を記載している。しかし、湧いてくる空しさは広がるばかりである。
「平和的生存権」を矮小化することなく、法の精神と普遍的人権哲学の一体化した権利として主張したい。「愛する家族の死を戦争の口実に使わないでほしい」と発言し、アフガニスタンに、イラクニ、そして広島に平和訪問する「ピ−スフル・トウモロウズ」の人々の行動を、被害者故の巡礼(鎮魂)行動と解釈するか、普遍的人権哲学・平和的生存権を体現した行動と考えるかは、意見が分かれそうである。原告は後者の見解である。(準備書面(4) 19〜20頁参照)
1.北野理論.憲法論的税法学
「歳入歳出分断論」の判示を受けた原告だが、その判決は現代性を欠いた論理に基づく誤りであると思い、再度、北野理論の「納税者基本権」を主張した。(準備書面(5)1〜7頁参照)
- 「租税概念は歴史的な概念である。それゆえに、歴史社会の変遷に応じて厳密には租税概念も変遷する。」
- 日本の実定租税法(国税通則法、国税徴収法、地方税法等)には租税を定義した規定はどこにもない。しからば、租税の法的概念は憲法に求めるより他に方法はない。
- 納税者側の租税概念
ア.明治憲法の場合と異なり、日本国憲法は納税者の立場にたった租税概念の抽出を可能にするだけの法的環境が存在する。すなわ、日本国憲法は国民(納税者)主権と基本的人権(平和的生存権を含む)の尊重を強調している。
イ.これらの憲法条項をベ−スにして、憲法の予定する納税者側の租税概念を抽出することが可能である。このような納税者側の租税概念の構築こそが、法実践論的には意味がある。
ウ.納税者側の租税概念は、従来の租税概念(財政権力側のもの)と異なり、納税者の「福祉」を考えるものである。2.納税者基本権の社会性
- 軍事費の膨張・暴走
明治憲法下の軍事予算決定をを巡る一事例と、1930〜1945年までの「戦前・戦中の軍事費の推移」を参考資料として掲載(準備書面(5)9頁)した。財政民主主義の存在しない時代の人間の愚かさの証明(数字)として説得力があると思うのだが。
- 財政民主主義のチェック機能は--。
現在、司法が納税者基本権を拒否する状況で財政民主主義のチェックは大丈夫だろうか?納税者基本権よる納税者・主権者国民によるチェックは必要ないであろうか。否、絶対に必要である。
ア.前防衛庁長官石破茂は「--少なくとも軍事部門においては、
財政民主主義が健全な形でワ−クしているとは思えません。」と断言(準備書面(5)11頁)しているのだ。
イ.平成5年度の国債は602兆円、地方債205兆円で、国債と地方債の重複を除外すると774兆円程度といわれている。戦前・戦中の教訓を活かしたはずの健全財政主義の破壊が進行しているのではないだろうか。(準備書面(5)8頁参照)
1.国家賠償法に基づく損害賠償請求の可否
本件イラクへの自衛隊派遣は、前記したとおり、明らかに違憲な行為であったが、このような違憲の行為を行うため、被告は現在まで約546億(*)といわれる巨額の財政支出を行っており、当然ながら、この財政支出も違憲な行為と評価されるべきである。
(*)予算、予備費の年度別執行明細(防衛庁内局広報室 05.9)
(ア)15年度 約239億円A16年度 約277億円
(イ)17年度約30億円(何月現在かは不明)
このような違憲違法な財政支出に対しては、原告が従前主張してきたとおり、納税者基本権に基づいて、事前の差し止め請求や事後の違憲確認請求などが可能である。
2.損害の有無について
- 国家賠償法1条1項は、「公権力の行使にに当たる公務員が、その職務を行うについて、故意または過失によって違法に他人に損害を加えたとき」に損害賠償請求権を認めている。
- 公務員が違憲違法な財政支出を行った場合に個々の納税者に損害賠償請求権が認められるか否かという問題についていえば、違憲違法な財政支出により個々の納税者に「損害」が発生するか否かという点が最大の争点をなす。
かつて、カンボジアPKO違憲訴訟において被告は、「歳入歳出分断論」を次のように述べている。「憲法上、国民の納税義務と国費の支出とは、形式的にも実質的にもその法的根拠を異にし、全く別異なものであり、両者は、直接的、具体的な関連性を有しない」したがって、「租税の徴収段階で、租税の用途の違憲、違法を問題にする余地はないから、租税の徴収自体によって、原告の自由、権利ないし法的利益が侵害されることもない。」
しかし、この論理は、せいぜい、支出の違憲違法を理由に、個々の納税者に対する課税処分そのものの取り消しを求めることはできないという限度で承認されるべきものに過ぎない。ここから、被告の主張するように、納税者が司法的な救済を求める余地がないという結論を導くのは誤りである。
すなわち、日本国憲法は国民の納税の義務を規定しているが、他方、その税金を憲法の枠内でしか使ってはならないという義務を国家に対して課しているものである。ところが、国家が憲法の枠を踏み外して違憲な支出をなした場合、そのための財源は、納税者から税という形式をもって徴収されていても、本質的には、支出の内容如何で別の法的性格を与えられることになる。
例えば、国家が特定の宗教団体へ補助金を支出するという違憲な財政支出をなした場合、そのための財源を負担した国民から見れば、形式的に税として徴収されていたとしても、実質的には、特定の宗教団体に対するお布施を強制されたという性格を有することになる。憲法で禁止された戦争行為のための財政支出についても、同様に、個々の国民が戦費負担金を強制されたという性質を有することになる。これらの場合、個々の納税者の良心に対する耐え難い苦痛を与えることがあり得る。
このように、違憲な財政支出の内容によっては、個々の納税者に対する影響が極めて大きいものが出てくるのであって、具体的に、個々の納税者の良心に耐え難い程度の苦痛が与えられたと認めるられる場合、それは当該納税者の良心の自由を侵害して損害(すなわち精神的苦痛)を与えたと評価されるべきである。
したがって、この場合、上記損害を司法的に解決してもらう手段として、国家賠償法に基づく賠償請求権が成立する。
- 個々の納税者から徴収された普通税は、その使途を具体的に定めない性格の税であるから、その後の個別の財政支出(違憲なものも含めて)との間には何らの関連性もないという反論が考えられるが、これは普通税の理解を誤ったものである。
確かに、普通税には予めその目的を定めてはならないというノ−アフェクタシオン(非目的拘束)の原則が認められるが、それは、普通税で徴収されたものはおよそその使途は不明であるということを意味しない。逆に、予め特定の目的を有してない以上、あらゆる支出項目に対して、その項目が全体の財政支出に占める割合に応じて、均等に配分して支出さていることになる。
したがって、個々の納税者が徴収された普通税は、必ずや違憲な行為のために財政支出にも含まれているのである。
- イラクへの自衛隊の派遣が違憲である以上、そのための財政支出は当然に違憲であるから、国家賠償法1条1項の「違法」の要件は具備されている。
- 違憲な財政支出により、原告に精神的損害が生じているものであるから、両者の間には因果関係が存在するというべきである。
- 憲法の定める根本規範というべき平和的生存権を踏みにじる違憲な財政支出を行った公務員らには、「過失」が存在する。
- 以上から、本件において国家賠償法1条1項所定の要件は全て具備されている。
4.財政支出に対する国家賠償請求を通じた司法的コントロ−ルを憲法は要請している。
- 違憲な財政支出に対する国家賠償請求を肯定することは、間接民主制を基本とする財政民主主義に反するという反論も考えられる。
しかし、立法権を独占する国会が制定した法律であっても、これにより具体的な人権侵害が生じた場合には裁判所は司法救済に乗り出す責務があると同様に、予算を決定する権限が国会にあったとしても、それによって決められた財政支出が個々の国民の権利を侵害していると評価される場合には、裁判所はやはり司法救済を図る権限を有するのである。これは、通常の司法裁判所の役割に過ぎない。
- 上記のような解釈は、何ら国会の権限を侵すものではない。
すなわち、財政国会中心主義の趣旨は、財政支出に対する政治的コントロ−ルを及ぼすことにあり、事前に違法不当な財政支出をしないよう調整し、その後の予算運営において過誤があった場合には政治的責任を問うことを通じて、誤った財政支出を繰り返さないようにすることを目的としている。
しかし、実際にその財政支出によって権利を侵害された個々の被害者に対する救済は上記政治的コントロ−ルからは抜け落ちているのであり、裁判所が本来の役割として司法的な救済を図るべきなのである。したがって、司法的救済は政治的コントロ−ルとは全く異なる独自の役割を期待されている。
さらに、財政支出そのものを遡って無効としてしまうのではなく、財政支出が個々の税者に与える影響の大きさを裁判所が斟酌し、一定の納税者についてその権利侵害を司法的に救済することは、財政支出に対するいわば間接的なコントロ−ルに過ぎず、財政法の全体的なシステムと矛盾せず、国会の権限を侵すことにはならない。
- このような解釈が正当であることは、明治憲法と現日本国憲法を対比することによっても明らかになる。
すなわち、明治憲法下においては、臣民の納税義務を規定する一方、臣民の権利は法律の範囲内に保留され、立法権は天皇が有し、財政支出をコントロ−ルする規定もなかった。さらに、明治憲法36条はいわゆる永久税主義の規定を採用しており、歳入と歳出とを完全に遮断していたのである。
これに対し、日本国憲法は国民の納税義務を規定する一方、国民に対して法律によっても奪い得ない基本的人権を保障し、財政支出についても89条などの支出制限の規定や義務教育の無償などに見られる積極的な支出保障とも解し得るような規定を有している。かかる憲法の全体構造からして、現行憲法は、永久税主義の規定を明治憲法から承継しなかったと考えられる。したがって、およそ歳入と歳出とは別個独立であり、納税者が支出について法に意義申し立てを行うことは一切不可能である、と言うような解釈は、日本国憲法の下においては許されないことは明かである。
5.よって、原告の本件損害賠償請求が速やかに認容されるべきである。
以上