原告 杉山百合子
甲第89号証
原告陳述書 4【導火線の上の危険】
軍事抜きの平和を主張すると、「平和ぼけ」「現実を知らない」等と揶揄されます。そうでしょうか。では、武力で平和が実現すると主張する人は、どの現実を見ているのでしょうか。
私は、「何もしないで待っていれば平和が来る」とか「黙ってても武力侵略は勝手に避けて通る」などとは思っていません。むしろ、強者の論理がまかり通る世界だからこその武力放棄なのです。
甲第90号証と甲第91号証を提出します。
朝鮮半島で、南北を隔てる軍事境界線についての説明と、近況を伝える新聞記事です。この境界線の付近は地雷が埋まっていますが、非武装地帯となっています。かつては境界線そばまで双方の警備がされていたそうですが、接触による事件が起きてから、非武装地帯としたのです。
日本は、正に軍事境界線上にあるのではないでしょうか。米政府は2001年の「4年ごとの米国防見直し(QDR)」で、中東から北東アジアにかけての地域を「不安定の弧」と名付け、米軍の関与強化を明示しました。ここだけが不安定であるという見解には疑問がありますが、内に数々の紛争を抱えた国が多く、また、隣国との関係が良好でない国が多いことも事実です。
また、太平洋を隔てた大国とアジアとの境界線に、私たちは立っています。ならば尚のこと、そこに、一方の軍事基地を置き、遠く西アジアまでその軍隊と共同行動をする事は危険を招き寄せる行為でしかありません。
甲第92号証を提出します。『6カ国協議の行方』と題する毎日新聞6月22日の連載第一回目です。
膠着している6カ国協議に向けて、北朝鮮に対するアメリカのブッシュ政権内では底流には強硬論があることが書かれています。引用します。
- ブッシュ政権はいつまで外交を見守るのか。
「米国人は短気で知られる。(協議中断から)1年は長い時間だ」。6カ国協議の米主席代表を務めるヒル国務次官補は14日の上院公聴会で意味深長に語った。もちろん、一方にだけ問題があるわけではありません。しかし、このようなときに解決に向かう力を発揮するの一方の主張だけを遠そうとする力ですか? それとも、ねばり強い外交の力ですか? 多数の問題がある国家間だからこそ、信頼醸成に努めるのが政治ではないのですか?
ブッシュ政権はイラクに対するのと同じく、北朝鮮に対しても武力行使を否定していません。私たちの国は、それに追随するのですか?
甲第93号証を提出します。
神奈川新聞2000年8月の記事『相模総合補給廠「遊休」スペース 有事に野戦病院化』です。神奈川にある米軍相模総合補給廠について、ここにある膨大な医療セットの存在は、有事においてここを米軍の野戦病院にすることを意味しているのではないかと書かれています。
関連で、甲第94号証を提出します。各地の地方議員が情報提供している『追跡!在日米軍』のホームページからです。この3『相模補給廠の軍事医療施設を追う』には、関連情報が、4『やはりコミュニケーションゾーンに設定されていた』には、相模補給廠の米軍での位置づけが、“日本海有事”の際の「コミュニケーションゾーン」であることが米軍資料により明らかにされています。「コミュニケーションゾーン」とは、甲第95号証によれば、戦闘地域に対する兵站地域、つまり、戦場と一帯で機能する地域と言うことです。5『基本パッケージ第二弾、やはり中東行きか』、6『相模補給廠から出た大量のベースキャンプセットの行方』には、それを裏付ける資材の移動が観察されています。既に私たちも戦場の隣にいるのです。それを支援し強化する自衛隊派遣。これを日本国民の被害でないと言えますか?
1年前にイラクで狙撃され亡くなった橋田信介さんの言葉を、行動を共にしたことのある勝谷誠彦さんの著書から引用します。(『イラク生残記』講談社 刊)
- 「勝谷さんはさあ、背中のそのへんに大マスコミっていう看板があって、そのせいでそっくりかえっているんだよ。俺はさあ、なにもないからさあ、こうやって前かがみで、よぼよぼやってるだろう。そうすると意外と撃たれないんだよ」
「相手がいろいろ言う前に、座っちゃうんだよ。そして、相手にも『まあ座れよ』って言うんだよ。座ったらもうしめたもので、そこから先は絶対に撃たれない」
「勝谷さんみたいに高飛車にモノを言うと、一発で撃たれるよ」残念ながら橋田さんは、相手と顔を合わせて話し合えない状況で撃たれてしまいましたが、それまで長く戦場で生き延びてきた方の生きる智恵だったのでしょう。勝谷さんも、ご自身が生き延びて来られたのはこの一言を座右にしてきたからかもしれないと書かれています。
橋田さんのような方にこそ、生きて、これからの日本の行く末を見届けていただきたかったと思います。危機に際して本当は何が一番大事なのか。大看板をしょってそっくりかえっているのは一部マスコミの人だけではないでしょう。見得を貼ることと自尊心の発露とを取り違えている一部の政治家の方にも大いに見受けられることです。そしてそれは、外国から私たちがそう見られることにつながります。
私には、今の日本は、地雷と導火線の上を、火打ち石を両手に持って伝い歩きしているとしか見えません。私たちにできる一番強力な方法は、どちらか一方の肩を持つのではなく、改めて非武装宣言をした上でどの陣営とも等しく距離を置き、等しくつき合い、橋田さんのように素手で、外交の力を発揮して世界の緩衝地帯となることです。
もちろん、簡単なことではないでしょう。しかし、いつでも攻撃対象となり得る軍事基地を置いているより、よほど智恵のある方法です。導火線の行き先を他人のうちにしたり、火薬の配合を変えたりしても、それは関係をこじらせたり一時しのぎであったり、でしかありません。自立国としての外交とは言えない行いです。本当の解決は、率先して火元を探し、自ら消し止めることではないでしょうか。導火線に火をつけるのはやめてください。
甲第96号証を提出します。
日本の市民団体ピースデポと韓国の「平和ネットワーク」のメンバーが共同執筆し、両国で同時に出版された『東北アジア非核地帯』です。東北アジアをめぐる6カ国が共同でこの地を非核平和地帯にする構想です。危機があるからこそ、導火線を握手の手に変えようとする、新たな平和への貴重な一歩です。
甲第97号証を提出します。毎日新聞の記事です。50年後に世界で力を持っているのは、一位が中国、次いでアメリカ、インド、という順になるとのデータです。50年後に私が生きているかはわかりません。しかし、国同士の関係が流動的であることは今も同じです。このままアメリカ一国頼みを続けていたら、そのとき、日本はどうすればいいのでしょうか?
虎の威を借りるつもりが虎の盾にされているような外交は、国家を損なっています。政府の皆さん、国民の方を向いてください。
甲第98号証を提出します。毎日新聞2005年6月20日の記事です。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの元航法士であるセオドア・バン・カーク氏へのインタビューです。彼は、核兵器がなくなるのが理想だといいながら、あのときは投下すべきであったと、いまも答えています。同じ思いのアメリカ人は少なくないそうです。イラクへの攻撃もまた、同じ論理です。
であれば、今後もいつでも、同じ論理が繰り返されるわけです。大儀があれば無差別攻撃も許されるのだと。
その証拠として、甲第99号証を提出します。神奈川新聞5月2日『先制核攻撃の選択肢 米軍文書明記 原潜にも配備可能に』。
私たちの国は、それを否定して戦後60年を生きてきたはずです。「愛国無罪」は捨ててください。被爆国としてこのような国と共同歩調をとるメリットは何もありませんし、多くの犠牲を払って定めた非核三原則を無に帰します。
【人道支援】
甲第100号証を提出します。
長年、アフガニスタンで医療を中心とした救援活動を行ってきたペシャワール会のホームページから、最近のニュースです。
一部を引用します。
- おかげさまと言うべきか、以前は日本人であるが故に安全であった現地も、日本人であるが故に狙われる。復興支援とは名ばかりのプロジェクトが横行し、今や「NGO」は国連や米軍と共に、軽蔑と攻撃の対象となるに至りました。
事実は、米軍は初めの1万2千名から1万5千名に増派され、「アルカイダ討伐」は今も続いています。テロ事件は大都市を中心に増えており、行政組織の整備はなかなか進みません。旱魃は依然として猛威をふるい、職にありつけることを期待して戻った難民は都市にあふれ、不満が鬱積しています。
わが活動地の東部地域でも、相当数がパキスタン側に再難民化しています。人々の思いは、「結局、外国勢に利用され、不必要な戦争で虫けらのように扱われた」というのが普通の考えでありましょう。空爆による1万人以上の犠牲は、殆どが罪のない市民であり、その悲しみは、ついに世界に伝わることがなかったのです。日本の自衛隊がインド洋上で給油支援した米軍の活動の結果がこれです。一度武力を頼ってしますと、最後までそれを手放せなくなるのでしょうか。
そして、各国のNGOやアフガン政府とのトラブルなどのあおりを受けて、ペシャワール会は2カ所の診療所を閉めざるを得なくなりました。一番被害を被るのは、医療を受けられなくなった現地の人々です。大国の人道支援の注目は、もうこの国からは離れてしまっているのですから。
今回、準備書面(5)において、私は「上流からの介入」という視点をご紹介しました。軍事介入が必要になる前にこそ、被害を未然に防ぐ介入こそが必要だと言うことです。
甲第101号証を提出します。有限会社コプラというところのホームページです。
1991年の湾岸戦争後から、イラクの子どもたちへの支援を続けている「アラブの子どもなかよくする会」の伊藤政子さんの報告です。この団体の西村陽子さんは、大阪のイラク派兵違憲訴訟で証人に立たれました。
ただし、このホームページの報告は、1996年のものです。経済制裁で生活に必要な物資や医療が途絶え、アメリカ軍が投下した劣化ウラン弾の被曝が原因と思われる病で命を落としていく子どもたち。このとき「人道支援」をしていたのは、財力の乏しい民間団体しかありませんでした。本当にイラクの人々の事を考えるのなら、なぜこれまで、見殺しにし続けたのですか?
さらに1990年代、アメリカ軍とイギリス軍はイラク上空の制空権を大きく握り、たびたび空襲に及んできたのです。イラク攻撃は、今に始まったことではないのです。ずっとずっと、イラクの人々を殺し続けてきました。殺しながらの人道支援は成り立ちません。
先の国連軍縮大使を勤められた、上智大学教授猪口邦子さんのコラムを転載いたします。(日経新聞2005年1月12日)
- 『戦争と大災害と和解』
戦争と大災害の関係は? インド洋沿岸一帯に及んだ大津波の被害は、直接には戦争と関係ないようでありながら、20世紀の戦争の負債に、21世紀の人間社会が深く苦しむ姿を物語っている。
戦争は、人間社会に多大な負担を強い、不信感や対立感情を煽って、叡智と国際協調で解決し得る無数の課題への対応力を奪ってきた。20世紀の科学の進歩と経済発展は、本来ならば、世界の貧困を解決し、伝染病を克服し、克服し、大災害への備えや予知をもたらして、人間社会の悲劇を最小化することを可能にし得たはずである。
- ---(著作権に配慮して中略)---
- 本年は折しも、アジア・アフリカの途上国が、帝国主義や東西冷戦からの自由を求めて非同盟運動を起こした伝説的なバンドン会議の50周年に当たる。日本は、非戦と防災の連帯運動のための新バンドン会議を提唱して復興支援してはどうか。
甲第102号証を提出します。
通販雑誌の『通販生活』です。この雑誌は、神戸の震災被害やドイツの平和村など様々な所への支援を読者に呼びかけ続けています。この夏号では、イラクの子どもたち支援の2回目です。イラク国内の医療の状況をご覧下さい。
増え続ける病気の子どもたち。
- 湾岸戦争以前、子供を産んだイラクの女性は、「男の子でした?女の子でした?」と聞きました。ところが今や、「普通でした?異常でした?」と聞くのが当たり前になってしまった。
病院施設は米軍に破壊されました。「人道支援」はどこに行ったのですか?
甲第103号証を提出します。毎日新聞、南アフリカのヨハネスブルグ支局の記者コラムで『アフリカからみた自衛隊派遣 「米=国際社会」ではない』「日本の外交感覚 正常か」というものです。ここから引用します。
- 85カ国が「国際協調」している世界一の紛争多発地に「部族対立」程度の認識で10年間背を向けながら、米国のイラク攻撃に会わせて自衛隊を派遣する日本の「国際貢献」とは何なのか。アフリカの紛争には「紛争当事者の停戦合意」を求めるPKO5原則を適用して派遣を見送りながら、戦争が続いいているイラクへ新法まで制定して派遣する外交感覚は正常なのだろうか。
斜眼帯をかけてわき目もふらず走る競争馬のようにアメリカしか見えないかのような外交は、法治国家の名に値するでしょうか。
関連して甲第104号証を提出します。『拡大する負の連鎖』。アフリカの窮状を伝える記事です。まだまだ、武力によらない支援が可能な国々があります。