平権懇ホーム > 改憲への流れにNO!を > 第3回 1 > 2 > 3 

広島県の毒ガスの島

 日本に帰ってきまして、今度は加害者の方に会いに行きたいと思いまして、広島県の大久野島っていう毒ガス工場があった島に行ったんです。もちろん工場はすでに60年前に閉鎖されているんですけれども、現在も跡地は残っています。すごく皮肉なんですけれども、その大久野島はいま国民休暇村になってまして、大学生がテニスの合宿をするような、のどかな島なんです。ところが島のあちこちにかつての毒ガス工場の貯蔵庫の跡地とかありまして、いま見てもやっぱり決して気持ちのいい感情はしない、おどろおどろしい所なんです。

 島にたくさん野ウサギがいまして、何百匹もいるんです。すごいかわいいんですけども、なぜウサギがいるかというと、毒ガス工場時代に動物実験用にウサギを使っていて、その生き残りが繁殖して野生化している。話を聞いてしまうとちょっと触るのもためらわれるような、そういう感情になりました。

 大久野島は瀬戸内海の本当に小さなきれいな島なんですけれども、抱えてきた歴史はたいへん重くて、近隣の住民の方、延べで6000人の方がそこの工場で働いていました。働いていたのは10代の後半の若い子供たちから青年ぐらいまで。だいたい学校の先生から、進学できない貧しい家の子を中心に、「化学の勉強をしながらお金をもらえる施設があるから行きましょう」って言われて、それで勤めているケースが多いんです。そうすると入るときに20年契約で、「この島で見たり聞いたりしたことは絶対に話してはいけない、親であっても子であっても話してはいけない」と言われて働き始めて、いちおう毒ガスのマスクを渡されるんです。

 彼らは化学兵器を作っているとは習います。けれどそれが毒ガスとイコールにならないんです。「化学兵器っていうなんかすばらしい兵器を作りますからみんな頑張りましょう」と言われて、毎日製造している。ただ防毒マスクが大人用なので、隙間からヒューヒュー入ってきまして、子供たちみんなひどく咳をしながらずっと作業をしてるんですね。

 あるお爺ちゃまが、「君たちは人道兵器を作ってますから頑張りましょう」っていうふうに毎日言われたというんです。私聞きとりしながら、お爺ちゃまは高齢だから言い間違いかなと思って、「非人道ですよね」と言い返したんです。そしたら、「いやいや違うんだよ、人道兵器って習ったんだ」。何故かというと、ピストルとか砲弾はその場で人を殺すけれども、化学兵器は殺さないで痛めつけるだけなんだと。だから「人道的だろう」っていう説明だそうなんです。ところが最初の説明でお分かりのとおり、青酸とかマスタードガスですから、もちろんガンガン殺すんですね。だけど殺さないんだっていう嘘をつかれて作業をしている。

 ただ子供でも皆さん当時、これは何かとてつもなく恐いものを作らされているのが分かっていたそうなんです。何故かというと、ときどき事故が起きて、自分の仲間が今まで見たことも聞いたこともないような、様態が変わって怪我をするわけです。結局体中にボコボコができてドロドロ流れ出して、みたいな。それを見ていて、これは何か恐いことをさせられているっていうことが分かっていたんですが、でも逃げられなくて、ずっと我慢していたということです。

 事故に遭ったときはかなり悲惨です。どういう作業をしている時にどんな化学薬品を扱っていて、どういう症状になったかというデータは細かく取るんですね。それを本土なり東京に送る。防衛庁に多分その資料が残っていると思うんですが。そういうデータは取るんだけれども、治療をまったくしてくれない。「治療してください」と頼むと、「何を言ってるんだ、治療方法なんかないんだ。治療方法がもし存在したら、敵に使ったときに敵が治っちゃうだろう。そんなことができない素晴らしい兵器なんだから、化学兵器を作っていることを皆さん誇りに思ってください」と説明されたと言っていました。

 もちろん皆さん、毒ガス製造に荷担した加害者ではあるんですけれども、かなり高い確率で癌で、終戦の前後に亡くなっていますし、現在生き残っている方もほとんどの方が気管支炎のかなりひどい状態だったりします。戦争が終わってから10年ぐらいの間は、毎晩コップ1杯の痰を吐きながら死んでいった仲間がいる。つまり防毒マスクの隙間から毒ガスをいっぱい吸い込んでいるので、気管が全部壊れてしまって、そういうようになっているんですけれども。

 なんかとても簡単な結論なんですが、結局こういう普通の、何も知らない子供とか若い市民の方たちだけこういう被害に遭わされて今も苦しんでいて、実際戦争を始めた昭和天皇とかA級戦犯の人たちは戦争の最前線に行くこともなく、毒ガス戦争をさせられることもなくのうのうと生きている。ごく一部の方は裁かれて死んではいますけれども、それでもそういう個人的な痛い目には遭わずに済んだ。やっぱりどんなタイプの戦争でも、被害に遭うのはこういう普通の市民とか小さい子供です。それはどこの国の人かを問わず、いま中国でまた新しい被害に遭っている方たちも含めてそうなんだなっていう思いを、すごく強くしながら広島からは帰ってきました。
このページトップへ
なぜ報道されないのか
講演中 私はそれまであんまり中国には強いご縁はなくて、個人的に遊びに行ったぐらいで、友達もそんなに多くなかったんですけれども、この2年間、この問題に関わるようになってからたいへん深く中国人の方といろんな話をするようになりました。その過程でタイミングがいいような悪いようななんですが、日中関係がたいへん悪くなってきてました。中国ではこの遺棄兵器の問題はすごく関心が高いんです。

 私は日本では全く無名の人間ですが、この映画を撮影している最中から、とにかく中国関係からものすごい取材を受けたんです。それは地元の黒竜江省新聞とか黒竜江省テレビから始まって、果てはCCTVという中国のNHKみたいな、いちばん大きな放送局からも招待されて、30分の特番を組んでくれました。遺棄毒ガス兵器問題の番組じゃなくて、私の映画に関する特番なんですね。つまりそれぐらいこの問題に関心が高いんです。最初はすごくとまどって、「私無名ですし、これでとくに何か変わるわけじゃないですし」って言って断っていたんですけれども、新聞記者の方とかから「いや、違うんだよ。日本人がこんな遠くまで来て被害者に会っている、それだけでもうニュースなんだ」って言われて。そんなふうなのかなと思いながら取材を受け始めたんです。

 日本には人が死んだり40人ぐらい怪我しないとなかなか伝わりませんけれども、中国では日常的に本当に毎月のように、今月は黒竜江省のどこどこで毒ガスの事故がありました、今月は遼寧省のどこどこで、今月は吉林省のどこどこで、っていう感じで、とにかく頻繁に事故が起こっているんです。事故が起こるたびに新聞で「毒ガス兵器とは」って説明があったり、テレビで企画番組があったりするので、被害に遭った本人たちだけじゃなくて、地域に住んでるたくさんの住人の方、もしくは一般の中国人の方がこの問題をたいへん良く知ってるんですね。だから普通の大学生に、「私は毒ガスのことをやってるんだよ」と言うと、「ああ、そうなんだ」って、本当に皆さん、特別な説明があまり必要ないまま通じるような、そういう状況でした。

 取材とかを受けながらいちばん思ったのは、日本でこの2年ぐらいずっと拉致の話、北朝鮮の話をずっとやっていますね。確かにあれは本当にひどいことで、全員返してもらうべきですけれども、あいいう報道の過程でよくコメンテイターの方とかが「北朝鮮はひどい国だ、日本人は拉致のことをみんな知ってるのに、北朝鮮の国内の住民は拉致のことを知らない」とか言ってる方があります。私はこの遺棄兵器の問題に関して言うと、日本と中国でまったく逆のことが言えるんじゃないかなと思っています。中国では大半の方が遺棄兵器もしくは化学兵器というと日本軍のだと分かる。日本の国内で果たしてどのくらいの方が「日本の毒ガス兵器」って私が説明して、すっと理解できるか。ほとんどそれができないと思うんですね。つまり自分たちが北朝鮮のことに関して気軽に言っていることと、全く逆のことが当てはまるんじゃないかなって、強く思っています。

 もう一言言えば、例えば今、北の国の体制はかつての日本と同じですから、情報が封鎖されて、国家に都合の良い情報しか出ないのは当たり前なんです。だけど日本はどうなんでしょうかね。自由にものを言っていいはずの国で、自分の国に都合が良かろうが悪かろうが報道していいはずなんですね。ところが中国人が大使館に石やペットボトルを投げる映像は100回も200回も流れましたが、その背景にどういう問題が存在するのかというような報道を、どのくらいしたでしょうか。私が見ている範囲では本当に100回も200回も流れた映像の端っこに、本当にわずか数秒、その原因が何だという話があるぐらいで、あとはもうとにかく中国人は暴力的で常識がなくて最低の人たちだという、そういうプロパガンダがすごく流されていた気がします。

 やっぱり自分の国に都合が悪い情報が出ない今の日本の現状のほうが、よっぽどコメンテイターが非難している北の状態よりも悪いと私は思います。自由にものを言っていいはずの国で、なおかつ戦争中と同じように国のいうことを聞くような報道が横行しているという現状は、すごく問題だと思います。
このページトップへ
国連常任理事国になる前に
 いま日本はイラクに自衛隊を送っています。持っているか持っていないか分からなかった、結局持っていなかったみたいですが、そういう大量破壊兵器を原因にした戦争にいま荷担をしているんですけれども。そういう時間とお金があるのであれば、同し資金と同じ時間をですね、自分の国がかつて製造して、使用して、そして外国に投棄してきた、そういう大量破壊兵器の処理にまず優先的に振り替えるべきだと思うんです。

 日本はいま一生懸命国連の常任理事国になろうとしていますけれども、遺棄兵器の問題にちゃんと対処しないで、自分の権力だけ得ようっていう考え方はもう、アジアから理解されないのは良く分かります。これはだから過去の問題じゃなくて、これから先に日本がこの地域でどうやって共存していくかという時に、どうしても避けて通れない問題だというふうに、強く私は思っています。

 映画の後半に裁判のシーンが出てきたと思うんです。裁判の対応はとてもひどくて、べつに私は中国人の肩を一方的に持つ気は全くないんですけれども、控訴理由もたいへん信じられないような理由でした。

 日本と中国が1972年に国交回復をしていますが、この時点まで、つまり45年から72年までの間に約30年近く国交がなかったんですね。この間に毒ガスがたいへんたくさん見つかっていまして、その当時の中国政府は日本にも国交がないから言えないし、山に大きな穴を掘って埋めていたんです。72年に国交回復した後、中国は何回も日本政府に対して、毒ガスをなんとかしてくださいと言ってはいるんですけれども、日本はとても腰が重くて、この60年間で2回しか調査をやっていません。そのうちの1回が1970年代、もう1回は2000年代に入ってからです。真剣に調査する気が全くないんです。もう終戦から60年経っていますので、いったいどこにどれぐらい毒ガスがあるのか、ほとんど分かんない状態なんです。

 1972年の国交回復のときに周恩来は、当時の共産主義の理想的な考え方のひとつで、「日本の人民も戦争の被害者だった、だから賠償金はもらわなくていい」というような対応を当時してくれていて、その時に「戦争に関する一切の賠償はこれで言いません」というふうに中国側は言いました。裁判を起こしている方たちに対して日本政府はそれを盾に取りまして、「あの時の約束で戦争に関する賠償はもう一切いらないと言ったじゃないか」と。ですからそれ以降に起きた毒ガスの事故に関しても、「もう関係ないんです」っていうのが政府の立場です。

 外交的にそういうことが成り立つのか分かりませんが、素人目に見ても30年も前の約束に、例えば2000年とかに起きた事故を含めてるわけはないんですよね。そういう逃げ口上でいま何とか乗り切ろうとしている。本当に常任理事国になりたいのであれば、やはりこういう問題に一個ずつ誠実に、少なくとも前向きに対応する必要が私はあるというふうに思います。
このページトップへ
毒ガスは地元にあった
 いま中国の話を中心に言ってきたんですが、もう一つだけちょっと恐い話をします。先ほど見ていただいた環境省の資料の裏側に日本地図があります。この日本地図には、戦争が終わった後で日本の国内で起こった毒ガスの事故、もしくは毒ガスが見つかった地点が描かれています。見ていただくと分かるんですけれども、本当に見つかってない県を探すほうが簡単で、つまり全国的に日本の国内にも毒ガス弾があったり、もしくは死亡事故が起きているんです。

 これは何故かというと、沖縄戦が終わったころに、今度はいよいよ本土決戦で日本国内が戦場になるということで、アメリカ軍や連合軍に対して毒ガスを使うために、あちこちに毒ガスを配備したんですね。それが敗戦時に不法投棄されたり、もしくは紛失してしまったりした。毒ガスのある原料は殺虫剤の原料になるので、どこかに供出してしまったりもして、結局日本の国内にもいっぱいまだ毒ガスがあるんです。

 実際に事故がけっこう起きています。最近だと3年前に茨城県の神栖町で井戸から毒ガス由来の砒素が出て子供が怪我をしたり、神奈川県の寒川町でこれも3年前に高速道路の工事現場から毒ガスの入った瓶が見つかりまして、それで8人が被害を受けています。1人はかなり重症で、恐らく今日見ていただいた映画の男性の被害者のような感じで、これから一生苦しむことになると思います。

 去年の12月には福岡で上映会があったんですが、福岡県のある港町で一昨年に港から800発毒ガスが見つかりまして、自治体と国の協力で1個ずつ引き上げて回収している途中でした。ですから本当に他人事じゃないというか、自分が住んでいる地域から毒ガスが出ていますので、見ていただいた映画みたいな状況がいつ自分に降りかかるか分からないということで、たいへん皆さん怖がっていました。

 私は住まいが新宿区なんですけれども、2ヶ月前に環境省から、もう1回調査が必要な毒ガスの汚染危険地域が4つ発表になって、千葉県習志野市とか広島県大久野島とか、その4つの中に新宿区が入っていました。もともとは何千キロも離れた中国の黒竜江省から始めた取材が、気がつけば自分の家のすぐ近くにも同じような危険性があるということに気づかされて、たいへん恐い思いをしています。もちろん怖がっていても自分で防げる問題じゃないんですけれども、少なくともそういう危険があるということは知っておかなければ。できるだけ上映会でも日本のお話はていねいにさせていただいています。

 皆さんがお住まいの地域とかゆかりのある方がお住まいの地域で、関係のありそうな所がありましたら是非、環境省の方に問い合わせをして欲しいんですね。べつに私は環境省の協力者でもないんですが、自分の国内でちゃんと対応ができるのは環境省だけなので、ぜひ情報があったり危険性の問い合わせがあったら、環境省に連絡していただけたらと思っています。

 さっき言ったように日本は2回しか毒ガスの調査をしていなくて、それも国内のみなんです。国内の毒ガスの遺棄状況は一生懸命に集めて、それに基づいてこういう地図が出来てるんですけれども。日本軍は中国にもベトナムにも毒ガスを持って行ってるんですけれども、在外の遺棄情報は全く国は収集していません。

 ときどき元日本兵の方たちが、すごく勇気を出して環境省に電話をしまして、じつは自分は黒竜江省のどこどこで何々部隊にいるときに毒ガスを捨てさせられました、という告白をしても、環境省の方では、ウチは国内の情報しか集めていませんからいりません、ということで断られているんです。もちろん毒ガスを捨てたことはいいことではないんですけれども、60年たって勇気を出して伝えようとしている、そういう方たちの勇気を踏みにじるような行為です。そういうお爺ちゃまたち困って、裁判をしている中国人の弁護団のところとか、もしくは私の映画の記事を見て電話をしてきたりとか、そういう状況なんです。もう60年たっていて、なかなか現状を把握できないんですけれども、それでも生き残っている方たちの情報だけが最後の頼りなので、そういうことも含めてちゃんとやるように働きかけていきたいなあと思っています。
このページトップへ

次へ

平権懇ホーム > 改憲への流れにNO!を > 第3回 1 > 2 > 3