報告ほか 2005年
2004年報告へ

イラク占領やめよ 戦行くな自衛隊
派兵・再延長を許さない9.29集会
国会議員「自衛隊イラク駐留に関するアンケ−ト」の
実施結果報告懇談会(8/4)
全国原告団事務局会議(7/9・10)
ハッサンさんのお話を聴く会(3/10)
ハッサンさんのお話と参加者とのやりとり
(3/10)

米英のアフガン・イラク侵略戦争を糾弾する
3・6集会(3/6)


イラク占領やめよ 戦行くな自衛隊
派兵・再延長を許さない9.29集会
2005.09.29 文京区民センターにて
東京の市民団体、各地訴訟団、などのご協力を得て開催しました。
120名のご参加をいただき、下記決議文を採択いたしました。

写真撮影:金浦蜜鷹さん

会場より

カミーロ・メヒアさん
兵役拒否米兵カミーロ・メヒアさんの映像をバックに
ご本人からのメッセージを読み上げる

山梨訴訟:久松さん
お話の内容はこちら>>>


名古屋訴訟:近藤さん


イラクの現状について
村上さん


自衛隊員のいま
渡邊さん

自衛隊のイラクからの即時撤退と
時限立法の「テロ特措法」「イラク特措法」の
再延長阻止、廃案を求める決議

 ブッシュ政権がイラク開戦の理由とした「9・11へのイラク関与」は検証されなかった。「大量破壊兵器」の存在も明確に否定された。現在、イラクの治安悪化と混乱する社会の惨状は目を覆うばかりであり、米国のめざす「イラク民主化」の失敗は誰の目にも明らかである。
 イラク戦争の大義はすべて崩れ去り、イラクへの侵略が21世紀の恥ずべき蛮行であることは、今や世界中の人々が知るところとなった。
 日本政府は、このイラク戦争を支持し、憲法違反の「イラク復興支援特措法」をつくってイラクへの自衛隊派兵を強行した。
 私たちは、このような日本政府に対し様々な反対運動を展開してきた。
 自衛隊派兵後に起きた相次ぐ邦人殺害、報復対象国の指名、イラクの国内状況、そして世界世論は、私たちの主張と運動の正しいことを証明している。
 国際政治の本質を見失い、自分勝手な単独覇権主義を支持して得られる国益とはいったい何なのであろうか。日本の未来を損ない、他国の人々をも不幸にする間違った政策は、即刻やめるべきだ。
 日本政府のとるべき道は、

  1. 国是である日本国憲法の精神の「武力を用いない紛争の解決」を世界に広める。
  2. 核を含む大量破壊兵器の廃絶と、武器輸出禁止を推進する。
  3. 人道に対するテロを裁く「国際刑事訴訟システム」の確立を主導する。

ことである。

 私たちは、対米従属をやめ、あらゆる国との相互尊重を求めるとともに、日本国憲法を誇りとする立場から次のことを決議する。
 一 自衛隊のイラクからの即時撤退
 一 時限立法である「テロ特措法」「イラク特措法」の
   再延長阻止、廃案

2005年9月29日
イラク占領やめよ 戦行くな自衛隊
派兵・再延長を許さない9.29集会参加者一同


原爆詩を即興歌で
森田さん

改憲策動とイラク派兵
安川さん
■準備会参加団体(50音順)
イラク派兵違憲訴訟の会・東京
改憲とあらゆる戦争法に反対する市民ネットワーク21(略称 反改憲ネット21)
協同・未来
自主・平和・民主のための広範な国民連合・東京
名護サポーター
日本消費者連盟
日中友好元軍人の会
日本友和会(国際友和会日本支部)
西東京平和遺族会
米兵・自衛官人権ホットライン
平和に生きる権利の確立をめざす懇談会(略称平権懇)
良心的軍事費拒否の会

関西訴訟より、連帯のメッセージをいただきました

「イラク占領をやめよ 戦(いくさ)行くな自衛隊 
派兵・再延長をゆるさない9・29集会」への連帯メッセージ

 政府筋が「12月14日までの自衛隊派遣期間を延長したうえで、来年夏までに撤収する方向で調整に入る方針を固めた」ことを明らかにしたのは9月8日、衆院総選挙戦の声喧しきさなかのことでした。9日付けの報道(共同通信)によれば、「延長期間は1年間とする案が有力。12月に発足するイラク正統政府の行方を見極めて撤収時期を最終判断する」とのこと。撤収までに要する期間にかんがみて「事実上の延長は不可避と判断」したということです。
 9月8日といえば、4年前、9.11直後にブッシュ大統領が発した「テロとの戦争」を小泉首相がいちはやく支持した時期と重なります。それがやがて「イラク戦争」という明白な国際法違反行為を支持するという違憲行為につながり、自衛隊の海外派兵、国連多国籍軍への参加というさらなる憲法違反を重ね、わが国が法治国家であることをも危機にさらすような今日の状況を招くにいたりました。しかも、それらの違法行為が国権の最高機関にも十分に諮られず、閣議決定の名の下になされてきたことをふりかえるとき、姑息ともいうべき今回の政府の動きにたいして激しい憤りを感じます。

 一方、この夏以来「新憲法」をめぐって動揺の続いているイラクでは、いぜん占領軍と抵抗武装勢力との衝突が絶えず、多くの市民が巻き添えの犠牲を被っています。くわえて最近では、無差別の爆破事件や自爆テロによる傷ましい事件が多発しており、社会の混乱は深まるばかりです。
7月16日、モスクの門前でタンクローリーが炎上、400人以上の犠牲者を出したムサイブでの自爆テロ事件も衝撃でしたし、8月31日、自爆テロのうわさによってパニック状態となったシーア派巡礼者が橋上からチグリス川に転落し、死亡者が1,000人におよんだという大惨事もまたわたしたちの想像をこえるものでした。
 9月に入ってからの被害はいっそう深刻で、14日にバグダッドでバスが爆発、114人が死亡、156人が負傷した大惨事をはじめとして、16日までに自爆テロの犠牲となった死者の数は200人をこえたと報じられました。自爆テロは、あらゆる手段を封じられた者が訴えるまさに最終手段です。それが頻発して無辜の人々を恐怖におとしいれ、あるいは巻き添えにする。こうした事態は、つつがない日常を奪われ、不条理のなかにいやおうなく投げこまれたイラクの市民が、いかに困難な社会に生かされているかを雄弁に物語っています。
 その一方で、米国政府がイラク駐留米軍増派を決定し(8月24日)、4年後(09年)まで10万人規模の陸軍部隊を継続駐留させる計画の検討に入った(8月20日)ことも見逃してはならないでしょう。
ひとつの主権国家をこれほどまでに破壊し荒廃させた武力侵略と占領を、わたしたちは断じて許すことができませんし、それら違法行為に一国の憲法を犯してまで加担する自衛隊派兵を一日も早く阻止しなければなりません。

 そしてなにより危惧されることは、自衛隊の海外派兵が恒常化することで憲法の形骸化が助長され、それによって、軍隊を海外に出すことが「ふつうの国」の常識であるという政府の意思が、国民の意識のなかでも常識化し、定着してしまうことです。
 これを防ぐためにも、あらためて自衛隊の即時撤退を求めるとともに、派兵期限延長にむけて調整を進めている政府の動きにたいし、強く抗議の声を挙げたいと思います。
 いっさいの戦争や軍備にたいして平和的生存権の侵害を許さぬという、徹底した「不戦」の原則のうえに立つ「日本国憲法」の主として、また、ともに「自衛隊派兵差止・違憲訴訟」を闘う仲間として、「イラク占領をやめよ 戦(いくさ)行くな自衛隊 派兵・再延長をゆるさない9・29集会」の趣意に心から賛同し、成功を期待します。今後も、いっそう連携を深めながら運動を進めていきましょう。

「イラク派兵差止裁判をすすめる会・関西」

「派兵は決定的違憲」市民訴訟の会・山梨
久松さんのお話

 皆様、今日は。山梨から来た久松と申します。今日は、ぼくと何時も一緒に座り込みに 参加している小柳さんと一緒に来ました。
 山梨の訴訟は、7月26日に突然、結審を言い渡され、10月25日判決が予定されています。今日は、山梨訴訟の座り込みの模様と今後の展望について、語ってくれということですが、実は展望は、ありません。なかなか展望が見えませんので、裁判所の中だけでは、ダメだと考えまして、この違憲訴訟の有り様を多くの人に訴えるうちに、新しい風景が見えてくるのではないか、と思い、8月9日から、週3回ほど、有志で甲府地裁の前に、11:30〜4:00ぐらいまで座り込みを始めました。
 またチラシは、田中美砂さん、真理さんというぼく達事務局のメンバーが、ほぼ連日のように、替わりチラシを配ってくれています。甲府地裁前での座り込みは、初めてだそうで、あまり人通りの多くない地裁前ですが、座っていると一日に、3,4人の人が、立ち止まって話していきます。そうしているうちに朝日新聞が取材に来て、「犬の目線」と題で記事を書いてくれました。そこで今日は「座り込み」でのささやかな出会いから、見えてきた風景についてちょっとお話したく思います。

 ところで違憲裁判は、門前払いされるという話は、良く耳していますし、原告もそうしたことも予想の中に入っていたと思うんですが。違憲裁判に対する流布しているイメージのためでしょうか、弁護士会は、「門前払い」は分かっていたことというのでしょうか、また法曹界のことを知らない無邪気な原告たちと思っているのでしょうか、一種アパシーの状態で、ぼく達が山梨の弁護士会にこの訴訟指揮に対して、弁護士会として抗議声明を出してくれと頼んでも、今のところ大した反応もありません。弁護士さんを含め、26日の法廷を体験した人は、「門前払い」という言葉で括れるものとは、何かもっと別のリアル・ポリティクスの薄気味悪さというのでしょうか、端的に言ってこと憲法問題では、司法はまったく機能せず、民事訴訟法の上にあるのは、安保条約である、という感を強くしています。座り込みをしていて、別件で裁判所を訪れる何人かの弁護士さんと言葉を交わしていて、「やはり違憲裁判は、司法に馴染まないな」などと言ってゆく若い弁護士さんの言葉や、「26日は大変だったんだってねー」なんて他人ごとみたいに屈託なく声をかけてくる弁護士さんの言葉に接するたびに、何か能天気だな、という感じがしてしまいます。

 また「座り込み」をしていると、いろんな人が話しかけてきます。
 破産宣告を受けた被告の人は、僕たちのブルーシートの上に座り込み、裁判官に対する不信感を訴えながらも、「君たちが座り込みしている気持ちは分るが、そんな抽象的な裁判なんてやるよりも、年間30000人以上も自殺者がでるような現状をもっと訴えてくれ」と言われたりします。ぼく達は、「日頃、物事を裁いている裁判官に、そうした権限の根拠になっている憲法を遵守するように訴えているので、きっと貴方の裁判とも深いところで関係しているから、連帯しましょう」などといっても、あまり反応もなく、あんなに裁判官を腐していた人が、裁判官にそんなことを求めても可哀想だ、といった同情論に変わってしまいます。
 また交通違反で罰金を払わされた人などは、良くやっているね、と言ってくれたあとで、「でも虚しくなりません?」としょんぼりとうな垂れて、信号を渡っていきました。とても寂しそうな後ろ姿でした。
 また「君たちの主張は、まったく理解ができない」と立ち止まって抗議してゆく年配の人もいました。例のごとくにアメリカあっての日本なのだから、イラク派兵も仕方ないといって来る人もいます。でも声をかけてくれる人は、圧倒的に賛同してくれる人のほうが多い。

 ぼくたちの座り込みに賛同してくれる人やわざわざ立ち止まって反対を表明してゆく人たちと、ささやかな会話を交わしながら、ぼくの頭の中でいつもひとつの問いを自問していました。それは、立憲主義とは、なんだろうか、という問いでした。というのも賛成する人や反対する人たちの言葉からは、「国民が主権者であって、憲法を使って国家を縛っている」なんて意識はないのは、共通なように思えました。でもぼくは、別に人を非難しようと思って言っているわけではありません。僕自身、この裁判をやりながら、改めて自覚するようになったからです。

 ぼくは、座り込み中に、何時も一緒に座りこみをしている、ぼくよりもほぼ一世代若い友人、僕たちが、哲学者の「哲ちゃん」と呼んでいる友人に薦められて、丸山真男の『日本の思想』という本を読んでいました。ぼくは、いわゆる団塊の世代で、どうも丸山真男を敬遠していて、若い友人に薦められて初めて読んでみました。昭和33年の丸山の『「である」ことと「する」こと』という講演の冒頭を読みまして、実にアクチュアルに感じました。ちょっと引用します。
 彼は、民法の「時効」の根拠には、「権利の上に眠るもの」は、民法の保護に値しないという話から、次のように言っていました。

『日本国憲法の第12条を開いてみましょう。そこにはこの憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と記されています。この規定は、基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の成果」であるいう憲法97条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば、将来に向かって投射したものだと言えるのですが、そこに先ほどの「時効」についてみたものと、著しく共通する精神を読み取ることは、それほど困難ではないでしょう。つまりこの憲法の規定を若干読み替えて見ますと。「国民は、いまや主権者となった。しかし主権者であることに安住して、この権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ」という警告になっているわけです。これは大袈裟な威嚇でもなければ、教科書風の空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近100年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓に他ならないのです。』

 ぼく達の違憲裁判も暗礁に乗り上げてるように見え、9条も風前の灯のように見える現在、丸山の言葉は、何かとてもリアルなものに感じられます。
 9条といい、基本的人権といい、血塗られた歴史から、民衆自らが勝ち取ったという体験を持たぬぼく達は、自ら民衆であるのに、目線が高すぎるように思えます。まるで政権担当者の目線で語り、「権力者」の権力乱用を縛るという憲法の意義を、民衆自らが放棄するとき、丸山が言うように、主権者の位置を自ら返上してしまうことが、絵空事でなくなっているように思えます。国家に戦争を放棄させるというのは、権力を持たぬ民衆の永年の夢であったはずなのに、「〜が攻めてきたら、どうするのだ」と言う国家の常套的な脅しを、民衆自らが、鸚鵡返しに口にするようになるときには、国民主権は危機に立たされているのだと思います。
 犬の目線とは、昔、ディオゲネスという樽を住処にしていた、キニク派=犬儒派に引っ掛けて洒落てみましたが、実は現在の日本を支配している目線の高さは、ディオゲネスとは正反対に、経済的尺度で鹿、ものを見えなくなってしまい、イラクや中東で今起こっていることに少しも想像力が、働かなくなっているぼく達の永年の性癖に、起因しているように思えます。
 風前の灯の9条ですが、この憲法をぼく達のものにするためには、欧米の憲法神話の文脈とは異なった「原爆投下」という経験をもつぼく達は、新たな憲法物語を作ることが、必要なのではないか、と思われます。

 さて今後の日程は、「控訴」等のことや今後の運動のことも含めて、今月の15日に、他の原告の方々を相談して決めてゆきたいと思っています。
 最後に、ちょっとした朗報をご報告したいと思います。ぼく達は、2003年に自衛隊のイラク派兵反対の請願活動をしていましたが、つい先日韮崎市議会が、まったく自発的にイラク派兵反対の決議を15:3の圧倒的多数で可決しました。おそらく小泉政権下で、地方はますます財政的にも逼迫してくると思います。何か地方から自民党離れが、起こってくるのではないか、ぼくは、ちょっと期待しています。

イラク派兵違憲訴訟の事実審理(証人・証拠調べ)の実現を求める決議

 このところ新聞紙面を賑わす判決が続いている。海外在住邦人関する選挙権の最高裁判決、布川事件の再審決定など。大変時間が費やされたが妥当な判断が示された。他方でイラク派兵違憲訴訟はどうであろうか。これらは2004年の「自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟を皮切りに、全国で12の裁判が行われている。判決を示されたのは2件でいずれも憲法判断を回避した。そればかりでなく1件は事実審理(証人・証拠調べ)を行わなかったのである。ここ、東京でもその危険は迫っている。

 被告・国側は「証拠調べは必要ない」と臆面もなく述べ「被告意見書」なるものを次々と出してきた。東京の訴訟は13の部で争われているが、いずれの部でも同じ「書面」を提出し、事実審理(証人・証拠調べ)を排除しようという姿勢である。

 原告側は東京地裁だけでなく、全国10地裁(札幌、仙台、栃木、甲府、静岡、名古屋、大阪、岡山、熊本)において同じような訴訟が闘われており、約5600人の原告、800人もの弁護団が参加している事実がこの事件の重大性を現わしていて事実審理は避けられないと裁判所に働きかけている。

 それだけでなくイラクへの自衛隊派兵の違憲性・違法性について正しい評価を下すためには、国際法や」人権論に関する専門家の意見を聞くこと不可欠だと述べてきた。

 私たちは本日の集会でイラクの最新状況を映像で見、現地を訪れたジャーナストから報告を受けた。裁判官もまた、直接イラク現地を訪問し、イラク民衆の声に耳を傾けた者、イラクにおける自衛隊活動の細かな分析を行える者から直接に話を聴かなければ判決は書けないと考える。

 原告らが求めている事実審理(証人・証拠調べ)を行えばイラクへの自衛隊派兵が違憲性・違法性であることが明白になる。裁判官が事実に眼を覆うことなく事実審理を行うことを強く求める。

上記、決議する。

2005年9月29日
イラク占領やめよ 戦(いくさ)行くな
派兵・再延長を許さない9・29集会




国会議員「自衛隊イラク駐留に関するアンケ−ト」の
実施結果 報告懇談会

2005.08.04 参議院第4会議室にて
懇談会の様子
病院からビデオ参加の箕輪さん(右)と
北海道弁護団の佐藤弁護士
内田弁護士
東京弁護団の内田弁護士
全国から各地の訴訟団が参加して行われました。定員60人の部屋が満員で、隣から椅子をお借りしての集まりとなりました。
北海道の原告、箕輪さんは入院中、ビデオでの参加。
郵政問題で足止めされる国会議員もある中、秘書の代理出席含めて16名の議員の方が参加されました。アンケートは、集約中です。
弁護団と原告で3月にアンマンに行った調査の簡単な報告も行われました。
参加者
右手前は内藤功弁護士

主催:イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議

全国原告団事務局会議
2005.07.09〜10 名古屋にて

内藤弁護士
内藤功弁護士
(撮影:静岡訴訟原告)

7/9と7/10にかけて、名古屋で全国のイラク派兵違憲・差し止め訴訟をたたかう原告と一部弁護士も参加して訴訟の経験交流と今後の活動に向けての意見交換などを行いました。12の訴訟のうち、11の訴訟団から参加がありました。
東京訴訟からは、共同代表と事務局から各1名が参加しました。

内藤功弁護士
長沼・恵庭・百里裁判などの経験を語る
内藤功弁護士

ここで議論の末に、小泉首相への自衛隊撤兵を求める申入書が採択され、翌日すぐに官邸へ送られました。
また、全国会議員へのアンケートと8/4の衆議院議員会館での院内集会についても全国弁護団から提起され、原告の参加と協力が決定されました。


2日目の意見交換

2日目の意見交換
(撮影:静岡訴訟原告)


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米英のアフガン・イラク侵略戦争を糾弾する
3・6集会
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お話:ジアード・ハッサウニー
 (アンマン国際弁護団スポークスマン・
  アラブ弁護士協会副会長)
■とき:3月6日(日)開会18:00〜 ■ところ:渋谷勤労福祉会館
ジアードさん

 アンマン弁護団は、通称フセイン弁護団と呼ばれていました。弁護団ははサダム・フセインの弁護活動のために結成されましたが、国連のアナン事務総長の「米英軍によるイラク侵攻は、非合法的(illegal)であった」という声明を受けて、現在の活動は、この戦争犯罪の真相を解明するという広範なものとなってきています。この弁護団は、イラク民衆の被害を世界に伝えるという役目も担うようになりました。
 アンマンの事務所には、イラク各地の被害の訴えや証言が、集まっています。現在弁護団は、20名ほどで、そのメンバーの国籍は、フランス、モロッコ、エジプト、英国、米国、イラク、ベルギー、チュニジア、ヨルダンの弁護士から構成されています。その事務局は、ヨルダンのアンマンにあり、現在7〜8人の弁護士が、その地で活動しています。
 また支援者は、1500人ほどで、なかには、元米国国務長官のラムゼー・クラーク氏、元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラ氏、等もおられます。昨年12月29日には、ラムゼー・クラークが、この弁護団に加わったことが、BBCやCNNのニュースで報道されました。

◆主催◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
イラク派兵違憲訴訟の会・東京
米兵・自衛官人権ホットライン
テロ特措法・海外派兵は違憲市民訴訟の会
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会員を始め、100名近い方の参加で質疑応答も熱心に行われました。
写真:訴訟の会の原告の渡邊修孝さん
会場の様子
ジアードさんと平田さん
ジアードさんと、通訳してくださった平田さん(山梨訴訟メンバー)
赤旗 2005.03.19
掲載許可済み
↓クリックすると別画面で大きな画像を表示します↓
3月19日赤旗


■■■■■■■緊急の集い■■■■■■■
ハッサンさん
(イラク・バグダッド在住のジャーナリスト)の
お話を聴く会
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

●日時 3月10日(木)午後6時から
●会場 日本弁護士会館10階1002号室
内容はこちら

ハッサンさん

 イラク戦争に日本が参加したことに対して全国12ヵ所で違憲訴訟が闘われています。大阪の訴訟は2月24日から証人調べに入りました。この日、原告として意見陳述されたハッサン・アボットさんがまだ日本に滞在しています。そこで、緊急ですがハッサンさんをお招きしてお話を聴くことにしました。
 ハッサンさんについては、関西訴訟のホームページをご覧下さい。

呼びかけ団体/個人
 イラク派兵違憲訴訟・東京 弁護団

 日本国際法律家協会
 澤藤統一郎(日本民主法律家協会事務局長)
 萩尾 健太(弁護士・
       青法協弁学合部会東京支部事務局長)

6日に続いてのあつまりにも関わらず、会員・弁護団中心に20名ほどの方が集まり、
イラク・バグダッドの現状を伺いました。
写真:訴訟の会の原告の渡邊修孝さん
ジアードさんを囲んで
通訳は、訴訟の会の原告の北沢洋子さん

神奈川新聞 2005.03.13
掲載許可済み
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神奈川新聞
毎日新聞 2005.03.28
掲載許可申請中

クリックすると
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毎日新聞


ハッサンさんのお話と参加者とのやりとり(3/10)
ハッサンさんのお話を聴く会(3/10)
米英のアフガン・イラク侵略戦争を糾弾する3・6集会(3/6)

イラク在住のジャーナリスト
ハッサンさんのお話

[ ハッサンさんのお話を聴く会 ] 概要と写真はこちら>>>
時:2005年3月10日 18:00〜20:00
所:日本弁護士会館1002号室


 ありがとうございます。このような会に参加出来たことを感謝します。私はイラクの人々のメッセージをここに携えて参りました。日本の人たちに真実を話してくると、イラクの人々に約束して来ました。でも真実を述べるということは、とても難しいことです。イラクで起こっている戦争はとても信じることが出来ないものだからです。
 私は日本の人たちに、暴力、戦争、そして無実の人々のことをお知らせしたいのです。私がイラクから日本へ来るということ自体がリスクでした。しかし私は来ることを決心しました。真実を述べるために。これがイラクの平和の第一歩となると信じています。

 私は、先月日本に着いたのですが、日本に来て大きな希望を得ました。この希望を、イラクの人々に持って帰るつもりです。

 なぜならイラク人は全てを失ったからです。夢も失いました。人々は未来を失っています。現在、イラクには安全な場所はありません。いつでもどこでも、死に脅かされています。学校でも病院でも会社でも、安全ではありません。自分の家の中でさえ毎日、爆発音が聞こえます。イラクに起こっていることは、大変恐ろしいことです。イラクの人々が受けている痛みを、私はどう表していいかわかりません。どんなに優れたカメラマンでも、イラクの母親の涙を写すことは出来ないでしょう。しかし世界中のメディアは、イラク人が毎日死に脅かされているという事実に焦点を当てようとはしません。

 ある日お父さんが息子を幼稚園に送ろうとしていました。その途中で爆発が起こりました。捜しても、子どもの遺体の半分を見つけることが出来ませんでした。それは何日か後に見つかったのですが、近くの学校の屋根の上にありました。私の家から数キロの所で起こったことです。

 私の町に「マッド アバス(気の狂ったアバス)」という男がいました。長いひげを生やし、靴も履かないでいるアバスは気が違っていることを皆知っていました。ユーフラテス川にかかる橋の上をアメリカの戦車が通ろうとしたとき、その戦車が路上の地雷に触れたのです。戦車が爆発しましたが、アメリカ兵が死んだわけではありませんでした。アバスがいつも町を歩いていて、彼が代わりに撃たれたのです。アメリカ兵は彼を逮捕しましたが、彼がマッドマンだということが分かって、アメリカ兵はその間違いを繕おうとして、アバスが地雷を仕掛けたのだということを証明するために、彼に薬を与えて治療しようとしました。でもアバスは怖くなって逃げ出そうとしました。彼が逃げようとしたので、アメリカ兵は彼を撃ちました。このことは、あなたがイラクの街の中で道を車で走らせたり、歩いているとき、アメリカ兵を見たら絶対に近寄らないことが大事です。アメリカの戦車は、もし撃たれたならば撃ち返すでしょう、離れていても安全ではないということですし、無差別に乱射します。

 18歳のモハメッドという男がいました。彼は、友達と食事をしようと出かけました。ところがアメリカの検問所に引っかかりました。というのも、アメリカ軍のチェックポイントは、外からわかるようになっておらず、サインも何もなく突然設けられるのです。そして彼は撃たれました。このようにすべてのイラク人は犠牲者です。イラク人はアメリカ兵と戦っているわけでも、アメリカ兵に悪いことをしているわけでもないのに、このようにやられています。

 私はここにイラクのある女性の写真を持ってきました。アメリカ兵は彼女を撃ったのですが、それはアメリカ軍のヘリコプターが彼女の家の方に近づいたときに、突然誰かにヘリコプターが撃たれたからです。アメリカ兵はイラクの女性が撃ったと思ったのです。ヘリコプターはロケットを発射しました。そのため、この女性の二人の娘と孫の3人が殺されましたが、彼女は生きています。しかしこの誤射に対して何の賠償金もないので、彼女は生きるすべがないのです。彼女は家に銃を持っていたわけではありませんでした。彼女はまったく無実です。彼女が犯罪人で、受けるべき罰を受けたわけではないのです。イラクでは本当の犯罪人は絶対に罰せられないのです。逆に犠牲者が罰を受けています。

 前にも話したように、イラクでは安全な場所というのがまったくありません。イラクの多くの学校は迫撃砲の攻撃を受けています。しかも学校には子どものための机が十分にないのです。また学校に行こうとしない子もいます。なぜならば、道が安全でないからです。それから、想像してください。100人の子どもが一つの教室に群れているのです。

 病院のことを話しましょう。医者が私に語ったところによれば、経済制裁時代のほうが今よりもっと良かったということです。ベッドも十分にありませんし、病院は戦争前から同じですが、怪我人と死人の数は増えています。ですから医療品も前よりたくさん要りますし、ベッドも必要です。

 先週、ヘラで最大の爆撃がありました。そこで無実の人がたくさん殺されました。彼らには何の罪もなかったのです。ただ仕事が欲しかっただけです。多くの家族が死にました。ある6人家族全員がそこで死にました。3人の子どもを連れていたお父さんは子どもを庇ったのですけれども、子どもは全員死にました。もうひとつのケースは、お母さんが死んで子どもが生き残り、お母さんの死体の下で子どもが泣いていました。彼らはまったく無実の人々です。

 アメリカ軍はイラクの安全を確保することは出来ません。なぜ、イラクの人たちが死ななければいけないのですか。その犯人が罰を受けないのはなぜでしょうか。イラクには正義はないのです。まったく人権もないです。私がイラクの政府の役人に対してこのことを聞くと、今は非常事態だと言いました。しかし、この非常事態がどれだけ長く続かなければならないのでしょうか。この暴力を止めさせなければなりませんが、どうやって止めさせたらいいのか。イラクの人々が毎日殺されているのに、世界中の人たち誰もが救おうとしないのです。国際社会に、まず第一に、このイラクの危機的状態を知ってもらわなければなりません。
 本当の犯人であるテロリストはとっくに逃げ出していて、代わりにイラクの人々が殺されています。イラク人は平和に暮したいが、どうしたらいいかわかりません。毎日のように、私たちの周りの知り合いの誰かがアメリカ軍に殺されるか、捕まっています。アメリカ兵に捕まるか、あるいはイラク軍に捕まるかしたと、よく聞きます。

 どうもありとうございました。

出席者からの質問  Q & A

Q

 誰が本当のテロリストだと思いますか?

A

 私のテロリストの規定というのは、ただの市民を殺す人です。それからイラクの中にはたくさんの抵抗運動があります。 あるグループは、自分たちの抵抗運動を人々に理解してもらおうとしています。抵抗運動は、イラクの人々の尊敬を得なければいけません。しかしあるグループは、イラクの市民を殺します。彼らは、特に人が多くいる所、群れる所に爆発物を仕掛けます。他のグループの中には、ただ自分たちのために盗んだり、お金を取ったり、殺したりするグループもあります。

Q

 それもレジスタンスグループですか?

A

 私は、これは抵抗運動とは呼んでいません。抵抗運動とは、自分たちに目的があってそれを達成するというのが本当の抵抗運動です。イラクでは、アメリカ軍が戦争する前には、「テロリスト」という言葉を聞いたことがありませんでした。イラク人にとっては、テロリストという言葉は遠いものです。

Q

 自爆テロって、今イラクで行われていることは、たいてい自分も死にますよね。私、いい悪いって言っているのではありません。日本には昔から切腹とか第二次世界大戦のときは特攻隊とか、自分の命と引き換えに相手を殺すっていうかな、そういう方法はいいことではなかったけれど、戦争中にはあったし、その前江戸時代やもっと前から名誉のために自分のお腹を自分で裂いて死ぬっていうことがあった。これは文化と呼べないかもしれない。それで、今自分の命をかけて爆発して自分も死ぬけれども、いくらか周りの人も殺すようなことをすることは、昔からのイラクの文化というか、あるいは宗教的なものであったのですか?

A

 私は、そう思いません。イラクは1980年以降、25年間、さまざまな戦争を経験してきました。イランイラク戦争があって、湾岸戦争があって、今度の戦争があります。しかし、この25年間、イラク人は戦争があっても自分たちは勉強したり学校に行ったり、戦争のない時代と同じような普通の生活を送っていました。戦争のない国と同じように自分たちも生活をしたいと努力しました。しかし、現在は私たちが同じような生活を続けることがもはや不可能な状態になっています。私たちには何の選択もありません。私たち自身の心の中にも体にも安全はないのです。このような多くの戦争があった結果として、自分自身の中の恐怖というものを多くのイラク人が克服できない状態になっています。
 イランイラク戦争のときに、もし兵隊に行かないとバース党の政府に捕まりました。クウェートを攻撃したときの戦争に参加することを拒否したら捕まったでしょう。これまで25年間、自分たちの選択というものがなかったのです。イラク人は自分たちの普通の生活を続けたいのです。イラク人は本当に平和に生きることを愛しています。イラク軍は歴史上、自爆攻撃をやったことはありません。そんな歴史はありません。しかも自動車に爆弾を積んで自爆するような歴史はありません。2003年までにまったくそんなことが起こったことはありません。これはアメリカ軍の占領によるものです。戦争が始まった結果として、テロリズムがイラクに入ってきました。

Q

  今度、選挙が行われました。この選挙の投票率は高いそうですが、私たちはこの選挙によって民主政治が行われるというふうに信頼しておりませんけれども、イラクが平穏になったかのように報道がされていますが、実態はどうでしょうか?

A

 イラク人は長い間、選挙に憧れていました。選挙が自分たちの状況をよくしてくれると望んでいました。多くのイラク人は、この選挙が民主化への第一歩だと信じていました。しかし現実には、状況はより悪くなりました。暴力も、急増しました。
 あるグループは、シスタニ氏が投票しろと言ったので投票に行きました。他の人たちは、自分の知り合いとか親戚や友人が参加している政党を支持しようとして、投票に行きました。ある人々は、もし投票しなければ政府が配給票をとりあげるかもしれないと恐れて、選挙に行きました。ある人たちは、選挙に行きませんでした。なぜなら、選挙が状況を変えるとは信じてなかったからです。もちろん候補者も信頼してなかったのです。
 私自身は、選挙の結果について、発表される以前に既に結果を知っていました。どれだけのシーア派が投票に行くかわかっていたからです。バグダッドの南部と北部の地域では、まったく選挙に参加しませんでした。私は、投票前から選挙が状況をよくするとは信じていませんでした。なぜなら、イラクは米軍の占領下にあるからです。イラクの決定権はアメリカの手にあるからです。

Q

 ハッサンさんは原告として日本政府を訴えているわけですが、その理由について教えてください。特に日本の政府に対して何を要求しているのか、その理由について教えてください。

A

 私の義務は人びとに真実を伝えることです。私自身の目で見たイラクについて、私は証人として法廷に立ちました。弁護士さんの質問に対して、何がイラクで起こっているかを訴えました。私は自分が信じている真実を伝えます。私が100%真実だと信じていることだけを話します。私は日本に来る前にイラクの人々に本当のことを知らせると誓ってきましたので、これは私の義務です。
 私が日本の法廷に立ったのは、日本がイラクの平和に対して大きな役割を果たすことができると信じているからです。私は、日本の人びとがイラクを助けてくれると強く信じていたからです。イラクの人たちのメッセージを、法廷を通して、日本の政府に真実を話す、そういうことです。

Q

 ちょっと今の追加ですが、それで日本政府は、日本の自衛隊がイラクの人々のために人道支援をするためにイラクに行っていると言っていますが、それは真実だと思っていらっしゃいますか?

A

 私自身も考えがありますし、イラク人にもいろんな考えがあります。私はここで、イラク人がどう考えているかについてだけを述べたいと思います。第一には、すべての多国籍軍が、「イラクに駐留しているのはイラク人を助けるためだ」と言っています。
 (写真を見せて)このイラク人の男の子は、4ヶ月前に癌で死にました。この子は4人兄弟の中の4人目の子です。この子はイラクの国籍です。彼は死にました。誰も彼を助けられなかったからです。私は昨年日本に来て、この子のために医薬品を持って帰りました。これはお父さんです。お父さんによれば、私が持って帰った薬で、子どもは少し良くなりました。だから、お父さんは私に大変感謝しました。しかし、その3ヵ月後にお医者さんは、この子には特別の手術が必要だと言いました。しかしこれはイラクではやることが出来ない。その結果、子どもは死にました。誰がこの子を救うことができますか。そのときには誰もこの子を救うことはできませんでした。アメリカ軍と多国籍軍は、イラクで何をしているのでしょうか。このお父さんには、死んだ子のほかに、二人の男の子と一人の女の子がいます。どうやらこの三人の子どもも、同じ癌に侵されているらしいのです。これがイラクの実態です。どのようにしてイラクの人びとが援助を受けることが出来るか、ということです。
 次に私は、サマワにおける日本の自衛隊について話したいと思います。私は真実を告げなければなりません。日本の部隊は、サマワで水を浄化したり、学校を作ったりしています。そのことについて、サマワのある人びとは日本の自衛隊に感謝しています。なぜならば、それでビジネスが出来るからです。つまり恩恵を受けることが出来るからです。しかし、サマワの人びとでもそのような恩恵に浴することが出来ない人々は、日本の自衛隊に対して不満を持っています。そのような人びとは、日本の自衛隊を他の占領軍と同じように見ています。多国籍軍の一部として見ています。イラクのほかのサマワ以外の町の人びとは、日本の自衛隊の駐留にまったく不満です。なぜ日本の政府はサマワだけを選んだのか、という疑問をいつも出しています。日本政府がイラクを援助しようとしているなら、なぜサマワだけなのか。
 私はバビロンに住んでいます。サマワまでは車で2時間30分のところです。

Q

 アメリカ軍は今、イラクを占領している理由として、今撤退するとイラクの治安が悪くなるから仕方がないからいるのだ、ということをひとつの理由としてあげているようですが、実際どうなのですか、米軍が居なくなった場合、イラクはどうなるのでしょうか?

A

 イラクは今、地獄です。これ以上の地獄が他にありますか? だから、今のイラクで起こっている以上のことが起こるはずはない。アメリカ軍がいなくなれば、たくさんの解決策があります。イラク人は、私は確信していますけれど、自分自身で解決できます。例えば、部族に頼ることが出来ます。これはイラクの良い文化です。イラク人自身が治安を回復することが出来ます。さまざまな部族の統一が必要です。もし、統一が獲得されれば、イランの治安は回復されます。

Q

 ハッサンさんはジャーナリストでいらっしゃいますけれども、現在、取材活動が出来る状況にあるのか?もし最近何か取材したのであれば、その内容を教えていただければ。あと、それを発表できる機会があるのか?

A

 イラクの新聞に選挙について書きました。そのことによってたくさんの報酬を受けるといったことはないです。

Q

  どういうふうに選挙を報じたのですか?

A

 今ちょっと前に申し上げたとおりのことを書きました。ジャーナリストとしては、見たことを書くのが大事です。私は前に申しましたが、メディアというのは、すべてを報道することは出来ません。事件が起こった場所に行って自分の目で見て書かないといけません。外国の通信社の書いたことなんかを聞いて書くことも、私はできません。自分自身がそこに行って書かなければなりません。
 ティクリートに行く途中で日本の2人の外交官が殺された事件を覚えていらっしゃいますか? あのとき私自身がたぶん最初のジャーナリストとして、現場に行って写真を撮った人間です。(写真を見せて)サマワとティクリートの間の事件の起こった場所です。この男はたった一人、その事件を見た人です。私自身が一人車で行ったのですが、私は彼に「二人の日本の外交官が殺されたのを知っていますか」と聞きました。するとその男は、「ここでは何も起こりませんでした」と答えました。その後、私がティクリートの警察署に行ったとき、警官が「ちょっと待ってくれ、現場に一緒に行こう」と言いました。イラクの警官が連れて行ったところは同じ場所でした。そしたら前には否定した男が、「私は、ここに車が来て日本の外交官二人が撃たれて死ぬのを見た」と、今度は言いました。そのことを私は記事に書きました。記事の中に「この男は嘘つきだ」と書きました。もし私が書かなかったら、記事はそのまま信じられたでしょう。でも真実を報道したことにはなりません。もし私がこの男は嘘つきだと書かなかったら、私の記事は嘘になってしまいます。人びとは真実を正確に知ることが出来ません。
 つまり皆さんが、爆発の後にテレビや新聞でイラク人が多くのインタビューを受けている様子をご覧になることがあるでしょう。そのときに、イラク人は本当のことを言っているかどうか、一度考えていただきたいと思います。イラクについて十分な背景を知っている必要があります。このように真実を知るということは難しいのです。しかしジャーナリストとして非常に努力をすれば、真実に近づくことが出来ます。
 外国の特派員はイラクではまったく機能していません。外国人は危険で、ホテルから出ることができないのです。そのような状態でどうやって自分の国にニュースを送ることが出来るでしょうか。ですから、イラクについては、メディアを信じるということはとても問題があります。

Q

 イラクではこれまでも市民や外国のNGOなどが教育とか医療とか、給水活動などの支援をされてきたと思いますが、現在、そのような活動は、どの程度まで制限されているのか、もうすべていなくなったのか?現状をお聞きしたいと思います。

A

 イラク戦争の直後には、外国人もイラク内を自由に動けました。例えば外国人が病院で働いたり道路を直したりすることが出来ました。私は今ではまったく外国のNGOの姿を見たことがありません。

Q

  私の知り合いのNGOが、ヨルダンに行きまして、ヨルダンでイラク人のスタッフを使って、支援物資をイラクの国内に送ることをやっている人がいますけども、他の外国のNGOでそういう形でやっているところはあるのでしょうか?

A

 ヨルダンからのそのようなことを聞いたのは初めてです。そのようにイラクを助けるのは大変いい考えだいます。しかしどのイラク人を雇うか選ぶのは注意しなければならないと思います。教育がありイラクのことを良く知っている人に依頼しなければなりません。何がイラク人にとって必要か、どこに必要なのか場所も知っている人でなければなりません。私が今、重要だと考えているところは病院です。もうひとつ重要なのは人権問題です。イラクの再建についてはその後の問題だと私は考えています。

Q

 私はイラクにすごく憧れていて、文明の発祥地として絶対行ってみたいとずっと思ってきたのですが、そのイラクがどんな破壊状態かということを知りたい。というのは、第二次世界大戦の末に、もう日本が負けることがわかっていながら東京の大空襲で一般の本当にたくさんの人が虐殺されていますよね。その時の爆弾がどういう爆弾だったか、そのときの爆弾に比べても、今の爆弾はイラクでどういう爆弾が使われているか、それによって子どもとか普通の市民がどれだけ殺されているか、高い文明の遺跡が、どんなに破壊されているのかって、そういう状況を想像して早く戦争が終わればいいと思っているんですが、どういう状況ですか? バビロンなんて本当に私、行って見たいと思ってますけど。

A

 ありがとうございます。私はバビロンに住んでいます。ハムラビ王の話を知っていますか?「ハムラビ法典」というのを知っているでしょう。ハムラビ王は、世界で最初の法律を作った王様です。しかし、ハムラビ王の遺跡が残っているバビロンは、大変破壊されています。イラクにはまったく正義はありません。法の秩序はありません。今はバビロンの遺跡に入ることはできません。なぜならそこにアメリカの基地があるからです。ポーランドの軍隊も駐在しています。あなたが古代都市の遺跡の近くを通ると、非常に悲しい思いをするでしょう。アメリカの戦車がいるので近づくことも出来ません。遺跡は爆撃によって破壊されました。その様子を見ないほうがいいと思います。

Q

 あなたは無事に帰れるのでしょうか?それが心配。日本は今イラク人にとって敵国じゃないかと思うんですけど、そういうところへあなたはいらした。私たちのためにはすごく役立つと言うかありがたいことですけど。(ハッサン「こちらこそ、ありがとうございます」)そういう敵国に行った人を、あなたの国はちゃんと受け入れてくれる?

A

 私は日本の人びとに会いに来たのです。日本の人びとはイラクの敵ではない。私は日本の人びとを信じていますし、私がやったことにも自信があります。私は日本に来るとき、バグダッドからまず陸路アンマンに入りました。その道は非常に危ない道です。ヨルダンの国境まで8時間以上かかりました。アンマンまでは13時間以上かかります。国境では、係官にヨルダンに入ることは出来ない、だからお前はイラクに戻れと言われました。寒い夜を一晩国境で過ごさなければなりませんでした。翌朝8時にイラク側の国境が開くのを待たなければいけませんでした。そのときには家にまた戻りました。その次は、方法を変えてバグダッドの空港からからアンマンまで飛行機で行きました。ヨルダンの飛行場に着いたときに、13人以上のイラク人がアンマンに入ろうとしていました。飛行場で、アンマン市内に行くな、待てと言われました。ヨルダンの飛行場で2時間も待たされました。私を除いた12人はイラクに戻るよう言われ、彼らは戻って行きました。そして係員は私に、まだ待つようにと言いました。追い返されるのではないかと恐れていましたけれども、私はアンマンから日本に行くのだと言いました。何でそれを許可してくれたのか私はわかりませんが、信じられないことですが、許可してくれました。私は目的がありましたし夢がありましたから、たぶん神様が助けてくれたのだと思います。

Q

 ファルージャの攻撃についてはある程度報道で聞いていますが、あれだけ破壊されつくして、殺された人もいるけれども、ま、逃げた人たちもたくさんいると思いますが、その人たちは国外で難民になっていないわけですよね。どこでどうやって暮して生きているのでしょうか?

A

 攻撃が始まった後で、ある一部の人は、アメリカが用意したキャンプに入りました。そのキャンプには何もなくて、食べ物も医薬品もなかったのですが、家族にとって選択はなかったのです。ファルージャを出なければ、死が待っていたということで、ファルージャを出たのです。どこに行くこともできませんでした。ある人々は、バグダッドやバグダッドの南に親戚がいて、そこに一時避難した人たちもいます。仕事もないし、子どもが学校に行くことも出来ません。また住む家もないのです。私が日本に来るときにファルージャのそばを車で通ったのですけど、そのときには人びとがファルージャに帰る許可を取るために列を作って並んでいるのを見ました。しかしファルージャでは家が壊されていますから、そこには住めません。イラクのほかの都市の人びとは、ファルージャの人たちに大変同情しています。

Q

 アメリカ軍は、真実を報告しようとするジャーナリストをどんどん殺したいと思っているのではないかという噂があるのです。前にはバグダッドのホテルを攻撃して、確かそこでもジャーナリストを殺しましたよね。ちょっと前には、イタリアのジャーナリストも銃撃されましたよね。そんなふうに、真実を伝えようとするジャーナリストをどんどん殺そうと思っているようなのですが、あなたは、そのような危険性を感じたことはありますか?

A

 私だけじゃなくて、すべてのイラク人が今、危険なのです。普通の人だって危険を感じているのです。私自身は特別の人間ではなく、彼らと一緒に生きる普通の人間なのです。彼らと同じなのです。私がエゴイストなら、日本にいたいでしょう。私自身のことしか考えなければ、日本にいれば安全ですけれども、この子どもたちのことやイラクの人びとのことを考えると、日本にとどまるわけにはいきません。私はイラクに帰ります。無実の人びとがどんどん殺されていることを表現するために、私は帰国しなければなりません。

Q

 米英軍のもとに各国から軍隊を送っているのですが、日本の自衛隊はよその国の軍隊と同じように受け止められていますか、それとも日本の自衛隊だけは特別だというそういう受け止められ方でしょうか?というのが一点、もうひとつは、、

A

 ちょっと前にサマワの人がどう考えているのかということを、伝えました。同じ答えです。

Q

  区別はないということですね。

A

  イラクにおいては、日本の自衛隊についてはさまざまな意見の違いがあります。もちろんアメリカ軍と日本軍を同じに考えることは、正しくはないと思います。しかしイラクの人たちは、多国籍軍というのはすべて占領軍だと思っています。すべての人が日本の自衛隊について同じように考えているというのは正しくなくて、サマワにいるある人々は恩恵を受けていれば、日本の自衛隊を歓迎しています。日本の軍隊はサマワだけにいます。他のところにはいないのです。
 例えば、さっき私が示したバビロンの子どもを誰も助けることが出来なかったではないですか。

Q

 2つ目の質問ですけど、今日ここに集まっている人たちは、もっぱら日本の憲法と国連憲章に基づいて、日本の自衛隊がイラクに行っているということは違憲だということで政府を訴訟しているのですけど、またイラクの復興についてはイラクの人びとに任せるべきだと思ってはおりますけれど、多国籍軍ではなくて、イラクの復興については、ハッサンさんはどんなふうに、どんなプログラムをお持ちですか?

A

 皆さんがイラクの平和を願っているということは、私も皆さんと同じだと思います。そのことが、まず第一にイラクを支えています。日本とイラクの人々は、歴史的にいい関係になっています。日本人は、イラクでは大変尊敬されています。日本の文化、特に日本の産業をイラク人は尊敬していまして、日本の車、ソニーやパナソニックなどを皆使っています。イラク人は日本の工業を大変尊敬していて、イラク人は日本がイラクの平和のために支援してくれると信じています。イラク人にとっては日本の人びとが必要で、軍隊は必要ありません。

Q

 シナリオの内容を具体的に。

A

 今、再建を考える以前に、人々の命について考えなければいけないと思います。イラクの人権について考えなければなりません。人権が守られていれば、無実の人が殺されるなんてことは、あり得ないことです。多国籍軍の攻撃的なやり方はやめさせなければいけません。

Q

 今日は、日本が60年前に3月10日の爆撃、空襲で東京が大被害にあった日ですが、その後、広島、長崎が原爆にやられるわけですね。で、アメリカの日本占領というのはまあ日本にとってというか日本人にとって歓迎された面もあったのですが、そのむしろ見返りのように沖縄が日本から引き離されて、東北アジアの軍事の要石にされているわけですね。そして北朝鮮に対しても「悪の枢軸」ということで、さらに沖縄あるいは日本本土の日米両軍の絆を深くしようとしているわけですが、そういうような状態にあるわけですけど、アメリカが考えた大量破壊兵器はイラクにはなかった、その後さっきの子どもさんたちが癌に侵されているということは放射能汚染があるのではないかということですね、劣化ウラン弾が使われているかどうかとか、クラスター爆弾がどうなっているか、サマワの地が汚染されているかどうかっていうようなことを考えると、アメリカ軍は今後占領軍として、これからどのように続けようとしていると思われますか?

A

  今、イラクでは、犯罪が行われても、それに対する捜査がまったく行われていなくて、普通なら犯罪が行われば、犯人が裁かれるわけですが、それが全然ありません。そのような捜査をするためには、専門家が必要です。何が行われているか、それが真実かどうかを突き止めるためには、専門家が必要です。イラクの環境汚染に関しては、何の調査もされていなくて、それが戦争のせいだというふうにいえばイエスですけれども、その証拠が調査されているわけではありません。イラクには浄水というものはまったくないのです。イラクの環境汚染は、さまざまな奇妙な病気を作り出しています。それは戦争によって起こったものです。
 イラクの中では、数多くの種類の武器が使われました。それがどういう事態を今後引き起こすかということは、まったくわかりません。非常に恐ろしいことは、さまざまな武器が使われていて、多分あるものはイラクで最初のテストとして使われたケースもあります。たくさんの人を殺している武器が、多くの企業によって作られています。

Q

 アメリカの占領後といいますか、要するにイラクには資源があり、そういうようなことで、アメリカは、これからどうしようとしているのでしょうか?

A

  イラクの石油が今どこに行っているかということについては、まったくわからない状況です。例えば、私が車を運転するときガソリンが必要ですが、ガソリンスタンドに行ってガソリンを得るには2日間待たなければなりません。もし簡単に手に入れようとすれば、闇市で手に入れるしかありません。時々ガソリンを買うと、水が混じっていて、そのために車を直さなきゃいけなくて、とても時間がかかります。イラク人もこのことに、とても心を傷めています。つまり、自分たちの資源を、自分たちが使えないということです。このことから、私の答えを、あなたは汲み取っていただきたいと思います。

Q

 軍隊を辞められてからジャーナリストになりたいと思ったのは何故ですかということと、それから、これまでに印象に残った取材、それはイラクが破壊される前のことでもいいのですけども。

A

 戦争前に、私は詩を書いていました。だけど戦争が起こってからは、誰も詩など読む人はいませんでした。ですから私は、戦争とか死とか暴力とかという問題を、記事として書くようになりました。イラク軍がクウェートを占領したときのことを、新聞の記事として書きました。軍隊がクウェートの砂漠の中を敗退していく状況を書きました。

Q  それが印象に残った記事ですか?
A

 湾岸戦争のときです。イラク軍が敗退して行ったのですけど、そのとき砂漠の中で、イラク軍が白旗を掲げているのに、多国籍軍はガンガンと打ってきたのです。

Q

 ちょっとよろしいですか、その湾岸戦争のときは、従軍取材をしたっていうことですか?

A

 従軍記者でした。

Q

 それでイラクの何という新聞に書かれたのですか?

A

  『ジョムフォリーヤ』紙です。(通訳注:「共和国」という意味です」)

Q

  イラク全土で読まれるような新聞ですか?

A

 全国紙です。その当時は、それしか新聞はありませんでした。

Q

 それでそのときは従軍記者として、イラク軍が敗退して行くところを一緒に敗退しながら書いたのですか?

A

 従軍記者じゃなくて兵隊でした。(北沢洋子「私が訳し間違えました」)イラクでは最低2年間隊に入らなければならなくて、状況によっては、それ以上に伸びました。湾岸戦争のときは兵隊でした。1988年から1991年の間、私は軍隊にいました。

Q

 細かいことで申し訳ないですけど、兵隊として行って、戻ってから体験談として書いたんですか?

A

 戦争中は、まったく新聞はありませんでした。ですから、もちろん家に帰ってから書きました。

Q

 最後にバビロンの人たちの経済状況と、生活、失業者とか。それから、ハッサンさん自身も、どういう形で収入を得て、経済的な状態はどうなのかを。

A

 幸いにして仕事を得ることが出来た人は、前よりもちょっとだけ良いサラリーを得ることが出来ますが、物価は昔に比べてものすごく高くなりました。しかし、失業は多いです。一番簡単に手に入る仕事というのは、警察とそれから軍隊に入ることですが、これは非常に危険な仕事です。もし車を持っていて闇市でガソリンを買おうとしたら、生活は出来ないです。
 私自身について言えば、私は非常に苦しい生活をしています。私は、大きな家族を養う義務があります。私には三人の姉妹と四人の兄弟がいます。父親と母親は引退しています。妹は大学を出たばっかりですけれども、まったく仕事がありません。弟はホテルで働いています。しかしお客がいません。安全ではないからです。
 仕事に就くことも難しいですし、就いたとしても満足な給料が得られなくて、仕事に就いた意味がない状況です。

Q

 イラクの人は今、何に希望を持って生きているのですか?

A

 安全であると思うことです。というのは、家の中でも安全じゃないからです。

Q

 もうひとつ聞きたい。リバーベンドというバグダッドに住んでいる女性が、ジャーナリストでもなんでもない人が、インターネットで、バグダッドから世界に発信していました。それが『バグダッド・バーニング』という題で本になりました。その本によると、1年半ぐらい前ですが、その時点ではいつもアメリカ軍が夜中にどんな人の家でもバーンと入っていって、男の人を捕まえて行ったり、女の人を陵辱したりする。そうすると女の人は強姦なんかされたりすると、イラクでは汚されたものとして今度は家族から殺されたりする、そういう二重三重のアメリカ軍の酷さが書かれていたのですけど、いまだにそのようなことが続いているのでしょうか?

A

 今でも起こっています。イラク中どんなところでも起こっていることです。

Q

 つい最近イタリアの記者が救出されるときに、米軍から銃撃されるという事件がありましたが、あの事件についてはどんな感想をお持ちですか?

A

 バグダッド空港に行く道というのは、アメリカ軍の検問所が沢山設けられていて、最も危険な道なのです。たくさんの車が通つていまして、非常に混雑しています。特に空港に近くなればなるほど、危険です。
 高い塔が立っていて、そこからアメリカ軍が道路を監視しています。だから運転手はそこに行くのに、とても注意深くなければなりません。アメリカが沢山検問所を設けています。たとえ一人しか乗ってなくても、アメリカ軍が疑ったら、必ず撃てきます。で、多くのイラク人が、毎日毎日そのような形でアメリカ軍に捕まっています。さっき私はアメリカの戦車に近づいたたために撃たれた人の話をしましたが、同じようなことが起こっています。このようなことで、数千人のイラク人が毎日毎日殺されているのです。
 イタリア政府が現在アメリカ軍に対して調査をするように要請しています。しかし、何千ものイラク人が毎日殺されていても、誰もそれについて調査してくれと言う人はいません。


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