報告ほか 2005年
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イラク占領やめよ 戦行くな自衛隊 派兵・再延長を許さない9.29集会 |
国会議員「自衛隊イラク駐留に関するアンケ−ト」の 実施結果報告懇談会(8/4) |
全国原告団事務局会議(7/9・10) |
ハッサンさんのお話を聴く会(3/10) |
ハッサンさんのお話と参加者とのやりとり (3/10) |
米英のアフガン・イラク侵略戦争を糾弾する 3・6集会(3/6) |
東京の市民団体、各地訴訟団、などのご協力を得て開催しました。
120名のご参加をいただき、下記決議文を採択いたしました。 写真撮影:金浦蜜鷹さん |
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兵役拒否米兵カミーロ・メヒアさんの映像をバックに ご本人からのメッセージを読み上げる |
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自衛隊のイラクからの即時撤退と ブッシュ政権がイラク開戦の理由とした「9・11へのイラク関与」は検証されなかった。「大量破壊兵器」の存在も明確に否定された。現在、イラクの治安悪化と混乱する社会の惨状は目を覆うばかりであり、米国のめざす「イラク民主化」の失敗は誰の目にも明らかである。
ことである。 2005年9月29日 |
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原爆詩を即興歌で 森田さん |
改憲策動とイラク派兵 安川さん |
■準備会参加団体(50音順)
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関西訴訟より、連帯のメッセージをいただきました 「イラク占領をやめよ 戦(いくさ)行くな自衛隊
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イラク派兵違憲訴訟の事実審理(証人・証拠調べ)の実現を求める決議
2005年9月29日 |
病院からビデオ参加の箕輪さん(右)と 北海道弁護団の佐藤弁護士 |
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東京弁護団の内田弁護士 |
全国から各地の訴訟団が参加して行われました。定員60人の部屋が満員で、隣から椅子をお借りしての集まりとなりました。 北海道の原告、箕輪さんは入院中、ビデオでの参加。 郵政問題で足止めされる国会議員もある中、秘書の代理出席含めて16名の議員の方が参加されました。アンケートは、集約中です。 |
弁護団と原告で3月にアンマンに行った調査の簡単な報告も行われました。 |
右手前は内藤功弁護士 |
主催:イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議 |
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7/9と7/10にかけて、名古屋で全国のイラク派兵違憲・差し止め訴訟をたたかう原告と一部弁護士も参加して訴訟の経験交流と今後の活動に向けての意見交換などを行いました。12の訴訟のうち、11の訴訟団から参加がありました。 |
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ここで議論の末に、小泉首相への自衛隊撤兵を求める申入書が採択され、翌日すぐに官邸へ送られました。 |
2日目の意見交換 |
2日目の意見交換 (撮影:静岡訴訟原告) |
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アンマン弁護団は、通称フセイン弁護団と呼ばれていました。弁護団ははサダム・フセインの弁護活動のために結成されましたが、国連のアナン事務総長の「米英軍によるイラク侵攻は、非合法的(illegal)であった」という声明を受けて、現在の活動は、この戦争犯罪の真相を解明するという広範なものとなってきています。この弁護団は、イラク民衆の被害を世界に伝えるという役目も担うようになりました。 ◆主催◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ |
毎日新聞2005.04.27
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会員を始め、100名近い方の参加で質疑応答も熱心に行われました。
写真:訴訟の会の原告の渡邊修孝さん |
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ジアードさんと、通訳してくださった平田さん(山梨訴訟メンバー) |
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■■■■■■■緊急の集い■■■■■■■ |
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呼びかけ団体/個人 |
6日に続いてのあつまりにも関わらず、会員・弁護団中心に20名ほどの方が集まり、
イラク・バグダッドの現状を伺いました。 写真:訴訟の会の原告の渡邊修孝さん |
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通訳は、訴訟の会の原告の北沢洋子さん |
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毎日新聞 2005.03.28
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ハッサンさんのお話と参加者とのやりとり(3/10)
ハッサンさんのお話を聴く会(3/10)
米英のアフガン・イラク侵略戦争を糾弾する3・6集会(3/6)
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出席者からの質問 Q & A |
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Q |
誰が本当のテロリストだと思いますか? |
A |
私のテロリストの規定というのは、ただの市民を殺す人です。それからイラクの中にはたくさんの抵抗運動があります。 あるグループは、自分たちの抵抗運動を人々に理解してもらおうとしています。抵抗運動は、イラクの人々の尊敬を得なければいけません。しかしあるグループは、イラクの市民を殺します。彼らは、特に人が多くいる所、群れる所に爆発物を仕掛けます。他のグループの中には、ただ自分たちのために盗んだり、お金を取ったり、殺したりするグループもあります。 |
Q |
それもレジスタンスグループですか? |
A |
私は、これは抵抗運動とは呼んでいません。抵抗運動とは、自分たちに目的があってそれを達成するというのが本当の抵抗運動です。イラクでは、アメリカ軍が戦争する前には、「テロリスト」という言葉を聞いたことがありませんでした。イラク人にとっては、テロリストという言葉は遠いものです。 |
Q |
自爆テロって、今イラクで行われていることは、たいてい自分も死にますよね。私、いい悪いって言っているのではありません。日本には昔から切腹とか第二次世界大戦のときは特攻隊とか、自分の命と引き換えに相手を殺すっていうかな、そういう方法はいいことではなかったけれど、戦争中にはあったし、その前江戸時代やもっと前から名誉のために自分のお腹を自分で裂いて死ぬっていうことがあった。これは文化と呼べないかもしれない。それで、今自分の命をかけて爆発して自分も死ぬけれども、いくらか周りの人も殺すようなことをすることは、昔からのイラクの文化というか、あるいは宗教的なものであったのですか? |
A |
私は、そう思いません。イラクは1980年以降、25年間、さまざまな戦争を経験してきました。イランイラク戦争があって、湾岸戦争があって、今度の戦争があります。しかし、この25年間、イラク人は戦争があっても自分たちは勉強したり学校に行ったり、戦争のない時代と同じような普通の生活を送っていました。戦争のない国と同じように自分たちも生活をしたいと努力しました。しかし、現在は私たちが同じような生活を続けることがもはや不可能な状態になっています。私たちには何の選択もありません。私たち自身の心の中にも体にも安全はないのです。このような多くの戦争があった結果として、自分自身の中の恐怖というものを多くのイラク人が克服できない状態になっています。 |
Q |
今度、選挙が行われました。この選挙の投票率は高いそうですが、私たちはこの選挙によって民主政治が行われるというふうに信頼しておりませんけれども、イラクが平穏になったかのように報道がされていますが、実態はどうでしょうか? |
A |
イラク人は長い間、選挙に憧れていました。選挙が自分たちの状況をよくしてくれると望んでいました。多くのイラク人は、この選挙が民主化への第一歩だと信じていました。しかし現実には、状況はより悪くなりました。暴力も、急増しました。 |
Q |
ハッサンさんは原告として日本政府を訴えているわけですが、その理由について教えてください。特に日本の政府に対して何を要求しているのか、その理由について教えてください。 |
A |
私の義務は人びとに真実を伝えることです。私自身の目で見たイラクについて、私は証人として法廷に立ちました。弁護士さんの質問に対して、何がイラクで起こっているかを訴えました。私は自分が信じている真実を伝えます。私が100%真実だと信じていることだけを話します。私は日本に来る前にイラクの人々に本当のことを知らせると誓ってきましたので、これは私の義務です。 |
Q |
ちょっと今の追加ですが、それで日本政府は、日本の自衛隊がイラクの人々のために人道支援をするためにイラクに行っていると言っていますが、それは真実だと思っていらっしゃいますか? |
A |
私自身も考えがありますし、イラク人にもいろんな考えがあります。私はここで、イラク人がどう考えているかについてだけを述べたいと思います。第一には、すべての多国籍軍が、「イラクに駐留しているのはイラク人を助けるためだ」と言っています。 |
Q |
アメリカ軍は今、イラクを占領している理由として、今撤退するとイラクの治安が悪くなるから仕方がないからいるのだ、ということをひとつの理由としてあげているようですが、実際どうなのですか、米軍が居なくなった場合、イラクはどうなるのでしょうか? |
A |
イラクは今、地獄です。これ以上の地獄が他にありますか? だから、今のイラクで起こっている以上のことが起こるはずはない。アメリカ軍がいなくなれば、たくさんの解決策があります。イラク人は、私は確信していますけれど、自分自身で解決できます。例えば、部族に頼ることが出来ます。これはイラクの良い文化です。イラク人自身が治安を回復することが出来ます。さまざまな部族の統一が必要です。もし、統一が獲得されれば、イランの治安は回復されます。 |
Q |
ハッサンさんはジャーナリストでいらっしゃいますけれども、現在、取材活動が出来る状況にあるのか?もし最近何か取材したのであれば、その内容を教えていただければ。あと、それを発表できる機会があるのか? |
A |
イラクの新聞に選挙について書きました。そのことによってたくさんの報酬を受けるといったことはないです。 |
Q |
どういうふうに選挙を報じたのですか? |
A |
今ちょっと前に申し上げたとおりのことを書きました。ジャーナリストとしては、見たことを書くのが大事です。私は前に申しましたが、メディアというのは、すべてを報道することは出来ません。事件が起こった場所に行って自分の目で見て書かないといけません。外国の通信社の書いたことなんかを聞いて書くことも、私はできません。自分自身がそこに行って書かなければなりません。 |
Q |
イラクではこれまでも市民や外国のNGOなどが教育とか医療とか、給水活動などの支援をされてきたと思いますが、現在、そのような活動は、どの程度まで制限されているのか、もうすべていなくなったのか?現状をお聞きしたいと思います。 |
A |
イラク戦争の直後には、外国人もイラク内を自由に動けました。例えば外国人が病院で働いたり道路を直したりすることが出来ました。私は今ではまったく外国のNGOの姿を見たことがありません。 |
Q |
私の知り合いのNGOが、ヨルダンに行きまして、ヨルダンでイラク人のスタッフを使って、支援物資をイラクの国内に送ることをやっている人がいますけども、他の外国のNGOでそういう形でやっているところはあるのでしょうか? |
A |
ヨルダンからのそのようなことを聞いたのは初めてです。そのようにイラクを助けるのは大変いい考えだいます。しかしどのイラク人を雇うか選ぶのは注意しなければならないと思います。教育がありイラクのことを良く知っている人に依頼しなければなりません。何がイラク人にとって必要か、どこに必要なのか場所も知っている人でなければなりません。私が今、重要だと考えているところは病院です。もうひとつ重要なのは人権問題です。イラクの再建についてはその後の問題だと私は考えています。 |
Q |
私はイラクにすごく憧れていて、文明の発祥地として絶対行ってみたいとずっと思ってきたのですが、そのイラクがどんな破壊状態かということを知りたい。というのは、第二次世界大戦の末に、もう日本が負けることがわかっていながら東京の大空襲で一般の本当にたくさんの人が虐殺されていますよね。その時の爆弾がどういう爆弾だったか、そのときの爆弾に比べても、今の爆弾はイラクでどういう爆弾が使われているか、それによって子どもとか普通の市民がどれだけ殺されているか、高い文明の遺跡が、どんなに破壊されているのかって、そういう状況を想像して早く戦争が終わればいいと思っているんですが、どういう状況ですか? バビロンなんて本当に私、行って見たいと思ってますけど。 |
A |
ありがとうございます。私はバビロンに住んでいます。ハムラビ王の話を知っていますか?「ハムラビ法典」というのを知っているでしょう。ハムラビ王は、世界で最初の法律を作った王様です。しかし、ハムラビ王の遺跡が残っているバビロンは、大変破壊されています。イラクにはまったく正義はありません。法の秩序はありません。今はバビロンの遺跡に入ることはできません。なぜならそこにアメリカの基地があるからです。ポーランドの軍隊も駐在しています。あなたが古代都市の遺跡の近くを通ると、非常に悲しい思いをするでしょう。アメリカの戦車がいるので近づくことも出来ません。遺跡は爆撃によって破壊されました。その様子を見ないほうがいいと思います。 |
Q |
あなたは無事に帰れるのでしょうか?それが心配。日本は今イラク人にとって敵国じゃないかと思うんですけど、そういうところへあなたはいらした。私たちのためにはすごく役立つと言うかありがたいことですけど。(ハッサン「こちらこそ、ありがとうございます」)そういう敵国に行った人を、あなたの国はちゃんと受け入れてくれる? |
A |
私は日本の人びとに会いに来たのです。日本の人びとはイラクの敵ではない。私は日本の人びとを信じていますし、私がやったことにも自信があります。私は日本に来るとき、バグダッドからまず陸路アンマンに入りました。その道は非常に危ない道です。ヨルダンの国境まで8時間以上かかりました。アンマンまでは13時間以上かかります。国境では、係官にヨルダンに入ることは出来ない、だからお前はイラクに戻れと言われました。寒い夜を一晩国境で過ごさなければなりませんでした。翌朝8時にイラク側の国境が開くのを待たなければいけませんでした。そのときには家にまた戻りました。その次は、方法を変えてバグダッドの空港からからアンマンまで飛行機で行きました。ヨルダンの飛行場に着いたときに、13人以上のイラク人がアンマンに入ろうとしていました。飛行場で、アンマン市内に行くな、待てと言われました。ヨルダンの飛行場で2時間も待たされました。私を除いた12人はイラクに戻るよう言われ、彼らは戻って行きました。そして係員は私に、まだ待つようにと言いました。追い返されるのではないかと恐れていましたけれども、私はアンマンから日本に行くのだと言いました。何でそれを許可してくれたのか私はわかりませんが、信じられないことですが、許可してくれました。私は目的がありましたし夢がありましたから、たぶん神様が助けてくれたのだと思います。 |
Q |
ファルージャの攻撃についてはある程度報道で聞いていますが、あれだけ破壊されつくして、殺された人もいるけれども、ま、逃げた人たちもたくさんいると思いますが、その人たちは国外で難民になっていないわけですよね。どこでどうやって暮して生きているのでしょうか? |
A |
攻撃が始まった後で、ある一部の人は、アメリカが用意したキャンプに入りました。そのキャンプには何もなくて、食べ物も医薬品もなかったのですが、家族にとって選択はなかったのです。ファルージャを出なければ、死が待っていたということで、ファルージャを出たのです。どこに行くこともできませんでした。ある人々は、バグダッドやバグダッドの南に親戚がいて、そこに一時避難した人たちもいます。仕事もないし、子どもが学校に行くことも出来ません。また住む家もないのです。私が日本に来るときにファルージャのそばを車で通ったのですけど、そのときには人びとがファルージャに帰る許可を取るために列を作って並んでいるのを見ました。しかしファルージャでは家が壊されていますから、そこには住めません。イラクのほかの都市の人びとは、ファルージャの人たちに大変同情しています。 |
Q |
アメリカ軍は、真実を報告しようとするジャーナリストをどんどん殺したいと思っているのではないかという噂があるのです。前にはバグダッドのホテルを攻撃して、確かそこでもジャーナリストを殺しましたよね。ちょっと前には、イタリアのジャーナリストも銃撃されましたよね。そんなふうに、真実を伝えようとするジャーナリストをどんどん殺そうと思っているようなのですが、あなたは、そのような危険性を感じたことはありますか? |
A |
私だけじゃなくて、すべてのイラク人が今、危険なのです。普通の人だって危険を感じているのです。私自身は特別の人間ではなく、彼らと一緒に生きる普通の人間なのです。彼らと同じなのです。私がエゴイストなら、日本にいたいでしょう。私自身のことしか考えなければ、日本にいれば安全ですけれども、この子どもたちのことやイラクの人びとのことを考えると、日本にとどまるわけにはいきません。私はイラクに帰ります。無実の人びとがどんどん殺されていることを表現するために、私は帰国しなければなりません。 |
Q |
米英軍のもとに各国から軍隊を送っているのですが、日本の自衛隊はよその国の軍隊と同じように受け止められていますか、それとも日本の自衛隊だけは特別だというそういう受け止められ方でしょうか?というのが一点、もうひとつは、、 |
A |
ちょっと前にサマワの人がどう考えているのかということを、伝えました。同じ答えです。 |
Q |
区別はないということですね。 |
A |
イラクにおいては、日本の自衛隊についてはさまざまな意見の違いがあります。もちろんアメリカ軍と日本軍を同じに考えることは、正しくはないと思います。しかしイラクの人たちは、多国籍軍というのはすべて占領軍だと思っています。すべての人が日本の自衛隊について同じように考えているというのは正しくなくて、サマワにいるある人々は恩恵を受けていれば、日本の自衛隊を歓迎しています。日本の軍隊はサマワだけにいます。他のところにはいないのです。 |
Q |
2つ目の質問ですけど、今日ここに集まっている人たちは、もっぱら日本の憲法と国連憲章に基づいて、日本の自衛隊がイラクに行っているということは違憲だということで政府を訴訟しているのですけど、またイラクの復興についてはイラクの人びとに任せるべきだと思ってはおりますけれど、多国籍軍ではなくて、イラクの復興については、ハッサンさんはどんなふうに、どんなプログラムをお持ちですか? |
A |
皆さんがイラクの平和を願っているということは、私も皆さんと同じだと思います。そのことが、まず第一にイラクを支えています。日本とイラクの人々は、歴史的にいい関係になっています。日本人は、イラクでは大変尊敬されています。日本の文化、特に日本の産業をイラク人は尊敬していまして、日本の車、ソニーやパナソニックなどを皆使っています。イラク人は日本の工業を大変尊敬していて、イラク人は日本がイラクの平和のために支援してくれると信じています。イラク人にとっては日本の人びとが必要で、軍隊は必要ありません。 |
Q |
シナリオの内容を具体的に。 |
A |
今、再建を考える以前に、人々の命について考えなければいけないと思います。イラクの人権について考えなければなりません。人権が守られていれば、無実の人が殺されるなんてことは、あり得ないことです。多国籍軍の攻撃的なやり方はやめさせなければいけません。 |
Q |
今日は、日本が60年前に3月10日の爆撃、空襲で東京が大被害にあった日ですが、その後、広島、長崎が原爆にやられるわけですね。で、アメリカの日本占領というのはまあ日本にとってというか日本人にとって歓迎された面もあったのですが、そのむしろ見返りのように沖縄が日本から引き離されて、東北アジアの軍事の要石にされているわけですね。そして北朝鮮に対しても「悪の枢軸」ということで、さらに沖縄あるいは日本本土の日米両軍の絆を深くしようとしているわけですが、そういうような状態にあるわけですけど、アメリカが考えた大量破壊兵器はイラクにはなかった、その後さっきの子どもさんたちが癌に侵されているということは放射能汚染があるのではないかということですね、劣化ウラン弾が使われているかどうかとか、クラスター爆弾がどうなっているか、サマワの地が汚染されているかどうかっていうようなことを考えると、アメリカ軍は今後占領軍として、これからどのように続けようとしていると思われますか? |
A |
今、イラクでは、犯罪が行われても、それに対する捜査がまったく行われていなくて、普通なら犯罪が行われば、犯人が裁かれるわけですが、それが全然ありません。そのような捜査をするためには、専門家が必要です。何が行われているか、それが真実かどうかを突き止めるためには、専門家が必要です。イラクの環境汚染に関しては、何の調査もされていなくて、それが戦争のせいだというふうにいえばイエスですけれども、その証拠が調査されているわけではありません。イラクには浄水というものはまったくないのです。イラクの環境汚染は、さまざまな奇妙な病気を作り出しています。それは戦争によって起こったものです。 |
Q |
アメリカの占領後といいますか、要するにイラクには資源があり、そういうようなことで、アメリカは、これからどうしようとしているのでしょうか? |
A |
イラクの石油が今どこに行っているかということについては、まったくわからない状況です。例えば、私が車を運転するときガソリンが必要ですが、ガソリンスタンドに行ってガソリンを得るには2日間待たなければなりません。もし簡単に手に入れようとすれば、闇市で手に入れるしかありません。時々ガソリンを買うと、水が混じっていて、そのために車を直さなきゃいけなくて、とても時間がかかります。イラク人もこのことに、とても心を傷めています。つまり、自分たちの資源を、自分たちが使えないということです。このことから、私の答えを、あなたは汲み取っていただきたいと思います。 |
Q |
軍隊を辞められてからジャーナリストになりたいと思ったのは何故ですかということと、それから、これまでに印象に残った取材、それはイラクが破壊される前のことでもいいのですけども。 |
A |
戦争前に、私は詩を書いていました。だけど戦争が起こってからは、誰も詩など読む人はいませんでした。ですから私は、戦争とか死とか暴力とかという問題を、記事として書くようになりました。イラク軍がクウェートを占領したときのことを、新聞の記事として書きました。軍隊がクウェートの砂漠の中を敗退していく状況を書きました。 |
Q | それが印象に残った記事ですか? |
A |
湾岸戦争のときです。イラク軍が敗退して行ったのですけど、そのとき砂漠の中で、イラク軍が白旗を掲げているのに、多国籍軍はガンガンと打ってきたのです。 |
Q |
ちょっとよろしいですか、その湾岸戦争のときは、従軍取材をしたっていうことですか? |
A |
従軍記者でした。 |
Q |
それでイラクの何という新聞に書かれたのですか? |
A |
『ジョムフォリーヤ』紙です。(通訳注:「共和国」という意味です」) |
Q |
イラク全土で読まれるような新聞ですか? |
A |
全国紙です。その当時は、それしか新聞はありませんでした。 |
Q |
それでそのときは従軍記者として、イラク軍が敗退して行くところを一緒に敗退しながら書いたのですか? |
A |
従軍記者じゃなくて兵隊でした。(北沢洋子「私が訳し間違えました」)イラクでは最低2年間隊に入らなければならなくて、状況によっては、それ以上に伸びました。湾岸戦争のときは兵隊でした。1988年から1991年の間、私は軍隊にいました。 |
Q |
細かいことで申し訳ないですけど、兵隊として行って、戻ってから体験談として書いたんですか? |
A |
戦争中は、まったく新聞はありませんでした。ですから、もちろん家に帰ってから書きました。 |
Q |
最後にバビロンの人たちの経済状況と、生活、失業者とか。それから、ハッサンさん自身も、どういう形で収入を得て、経済的な状態はどうなのかを。 |
A |
幸いにして仕事を得ることが出来た人は、前よりもちょっとだけ良いサラリーを得ることが出来ますが、物価は昔に比べてものすごく高くなりました。しかし、失業は多いです。一番簡単に手に入る仕事というのは、警察とそれから軍隊に入ることですが、これは非常に危険な仕事です。もし車を持っていて闇市でガソリンを買おうとしたら、生活は出来ないです。 |
Q |
イラクの人は今、何に希望を持って生きているのですか? |
A |
安全であると思うことです。というのは、家の中でも安全じゃないからです。 |
Q |
もうひとつ聞きたい。リバーベンドというバグダッドに住んでいる女性が、ジャーナリストでもなんでもない人が、インターネットで、バグダッドから世界に発信していました。それが『バグダッド・バーニング』という題で本になりました。その本によると、1年半ぐらい前ですが、その時点ではいつもアメリカ軍が夜中にどんな人の家でもバーンと入っていって、男の人を捕まえて行ったり、女の人を陵辱したりする。そうすると女の人は強姦なんかされたりすると、イラクでは汚されたものとして今度は家族から殺されたりする、そういう二重三重のアメリカ軍の酷さが書かれていたのですけど、いまだにそのようなことが続いているのでしょうか? |
A |
今でも起こっています。イラク中どんなところでも起こっていることです。 |
Q |
つい最近イタリアの記者が救出されるときに、米軍から銃撃されるという事件がありましたが、あの事件についてはどんな感想をお持ちですか? |
A |
バグダッド空港に行く道というのは、アメリカ軍の検問所が沢山設けられていて、最も危険な道なのです。たくさんの車が通つていまして、非常に混雑しています。特に空港に近くなればなるほど、危険です。 |
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