【被告準備書面(1)への反論の続き】
第1 請求の趣旨第1項に対する答弁
(前回反論済み)
第2 請求の趣旨第1項の訴えに対する本案前の答弁の理由
1 請求の趣旨第1項の請求の法的根拠等
(前回反論済み)
2「本件差し止めの訴えは法律上の争訟性を欠くこと」
(1)裁判所の審判の対象
(前回反論済み)
(2)平和的生存権が具体的権利ではないこと
ア 学説
について
確かに、多くの判例を元に叙述されている憲法の本には、その是非はともかく、いまだにこの権利が争訟性を持つとは認められない旨の記述があります。
ではしかし、「国」というものについて、具体的な記述が憲法にあるでしょうか。「国民」については、第10条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」といいながら、では「国」とはなんぞやと言うことを語らないまま、第9条では「国権」ということばを使っています。なんら具体的確定がされないまま自明のこととして「権利」を云々されている「国」。これについての疑義をあまり聞いたことはありません。
つまり、憲法に明確な記述がないことを持って争訟性の有無を判断するのは間違いです。
また、常に個別の人権と対比するものとして出される「公共の福祉」についても、個別的具体的実体を持った内容で書かれたものを見たことはありませんが、人権と対比するほどの「権利」として様々なところで重用されています。しかし、これについて一義的に定義したものを見たことはありません。
一方、平和的生存権は、前文でその精神が憲法全体を通す理念であることを確保された権利です。
また、憲法第9条において、ここで語られる「国権」への制限は、それを制限することで何を守ろうとしているのでしょうか。ここで守られているものこそ、「平和的生存権」ではないでしょうか。
そして、憲法の全ての条文は、それを全うするための方策なのです。つまり、全ての権利はそこに向かうものとして存在しているのです。
しかし、それは、最終的に獲得されればいいというものではなく、最低限の権利でもあります。なぜなら、平和でなければ生きるすべがなくなるからです。これについては、甲第26号証で陳述します。
また、幸福追求権の具体的権利性については下記を引用してその学説の根拠とします。「幸福追求権
著作権に配慮して中略
しかしその後、その具体的権利性を積極的に肯定するB説が次第に有力になり、今日ではむしろ通説の立場を占めるといってよい。
著作権に配慮して以下略」
『憲法 1』初版 251ページ
(野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 有斐閣)
より
イ 判例
について
ここに挙げられた判例より、いくつかの点を持って反論します。判例中の判断について他の点でも異論は多々ありますが、重なる部分は以下同じとし、また、本訴訟に強く関わる部分だけ取り上げます。
札幌高裁 昭和51年8/5判決
これは、一般には長沼ナイキ基地訴訟として知られていますが、この控訴審判決では自衛隊基地及び自衛隊の存在について司法審査の可否判断が求められています。しかし当違憲行為差止等請求訴訟は、自衛隊の中東・イラクへの派遣という具体的な行為の可否を問うものですので、論点が違います。(水戸地裁 昭和52年2/17判決:百里基地訴訟 ほか、このたぐいの論点については同じことを指摘します。)
また、長沼訴訟控訴審判決では判決理由第六の五「自衛隊の存在等と司法判断」で、これは憲法に違反するかどうかと言う司法審査の対象ではないとして
- 「憲法第九条の前記解釈によれば、同条が保持を一義的、明確に禁止するのは侵略戦争のための軍備ないし戦力、すなわち侵略を企図し、その準備行為であると客観的に認められる実態を有する軍備ないし戦力だけである。したがって、自衛隊法が予定する自衛隊の目的、組織、編成、装備等が右にいう侵略的なものであると一見極めて明白に認められるときは、裁判所は自衛隊法もしくはこれに当たる条規の違憲であることを判断すべきであり、また自衛隊法もしくはその条規の違憲性の有無とは別に、行政運用の実体である自衛隊の目的、組織、編成、装備等その実態が証拠調手続きを経るまでもなく右にいう侵略的なものであると一見極めて明白に認められるならば、この点については司法判断の対象となるというべきである。しかし、右に当たらず、一見極めて明白に侵略的なものとなし得ない場合には、当該事項がいわゆる統治行為に属するものであることにかんがみ、右は司法審査の対象とはならないといわなければならない。」
と断じています。
「一見明白に侵略的なもの」とは、どういうものを指すのでしょうか。自ら、「侵略軍だ」と名乗る軍隊を思い描いているのでしょうか。未来永劫、一見明白な「侵略のため」と自称する軍隊はあり得ません。かつてのナチスドイツの軍隊でさえ、大義は「民族防衛」でした。その意味で、これは意味のない論拠です。(これも、水戸地裁 昭和52年2/17判決 ほか、このたぐいの論点については同じことを指摘しておきます。)
また、もし、一見極めて明白な侵略戦争が準備されたとしたらどんな状態になるか想像できるしょうか。昨今の、ちらし配布による逮捕とか、街頭の監視カメラなどすでに市民社会を強制的に管理しようとする動きは報道されているとおりですが、その時、ひとり、司法だけが管轄外におかれることは考えられません。そのような時代になったら、私たちは司法を頼りにすることはできないはずです。司法に携わる方々もまた、その本来の職務を全うできる環境にはないはずです。でなければ、一見明白な侵略戦争など、企んだとき既に否定されるからです。
つまり、現実的に考えるなら、可能性のあるのは、明白でないうちに始まり、知らずに権利が侵害され始める戦争です。それは、幾多の歴史に見られる事実です。だからこそ、その前に、裁判所に足を運べる今だからこそ、私は憲法の砦としての司法に、その判断を求めているのです。憲法の精神が生きている今だからこそ、生かす鍵を握っている司法の皆さんにお願いします。その力を尽くして私たちの権利を守ってください。
大阪地裁 平成7年10/25判決
事実及び理由
第三 争点に対する判断
二 国家賠償請求における原告ら主張に係る被侵害利益の法的保護対象性の有無について
2
(三) さらに原告らは、国民は憲法秩序の中で生活することを保障されているという権利ないし法律上の利益を有するところ、本件閣議決定及び本件各指揮命令によって、憲法第九条を中心とする憲法秩序が破壊され、その結果、原告らの右権利ないし法律上の利益が侵害された旨主張する。
しかしながら、原告らの主張する憲法秩序の中で生活することを保障されているという権利ないし法律上の利益は、これを国民各個人に対して保障したものと解すべき法的根拠を欠き、その理由も極めて主観的、抽象的で、何ら具体性を有しないところ、
について
個人と行政の争いがあるところ、常にこの様ないい方を聞いてきました。10年前の阪神淡路大震災においても、個人の財産の補填は行政の仕事ではないという論理で、結果として街そのものが消滅の危機に瀕したのです。その中から、住民やボランティア、専門家、そして心ある国会議員の努力で公的援助法制定の運動が巻き起こり、不十分ながら被災者生活再建支援法が1998年5月に成立しました。このように、個人の暮らしを保障することこそが国の基本であるという考えは、平和的生存権以外の分野では受け入れられ始めています。
ウ 小括
について
以上により、また、甲第26号証に陳述するとおり、平和的生存権は具体的で最低限の権利であり、全ての権利の基本であると主張します。
(3)原告の主張する幸福追求権が具体的権利ではないこと
について
前記「大阪地裁 平成7年10/25判決」への異論に書いたとおりに加え、前段学説の部分で反論したとおりです。
(4)法律上の争訟性の具体的な判断事例
について
乙第2号証の「抗告人は、自衛官をイラク共和国に派遣することによって日本が戦争の惨禍に巻き込まれ、抗告人の生命や財産その他の諸権利が危殆に貧すると主張するけれども、このような理由をもって、自衛艦をイラク共和国に派遣する行為が抗告人個人の権利ないし法律上の利益に直接の影響を及ぼす法的効果を有するということはできない」に対し、甲第26号証で陳述します。
(5)原告の主張の法的な意味
及び
(6)小括
について
前記「大阪地裁 平成7年10/25判決」への異論に書いたとおりに加え、前段学説の部分で反論したとおりです。また、国民が司法に訴える意味について補足します。
平成1年 6/20最高裁第三小法廷判決などに見られるように、この種の司法判断を仰ぐとき、判決は「統治行為」という言葉を使って、司法に違憲判断を求めることの不適切を語ります。政策決定については選挙などの方法を使って民意を政治に反映すべきであり、司法がそこに踏み込むことは越権行為であるかのように書かれることもあります。
しかし、これらについては以下の疑義が呈されています。
1:「統治行為」のどの範疇を司法の手が及ばないとするのか。またその根拠について明確に語らず「高度の政治性」という言葉だけで司法判断を避けてきたのではないか。
これについて、下記を引用し、根拠とします。
- 「次に、仮に「統治行為」の存在が承認されるにしても、重要な基本的人権--とりわけ立憲民主主義過程の維持保全にかかわる人権--の重大な制限にかかわる場合には、「統治行為」の法理が妥当するとみるべきではない。
著作権に配慮して中略
- また、厚木基地訴訟に関していえば、夜間飛行による騒音が人格権(環境権)の重大な侵害をもたらしていると判断されうることを前提にしてのことであるが、平常時において、いわゆる「統治行為」論によって、差止請求を不適法とするのは疑問とされなければならない。」
『憲法 新版』324ページより
(佐藤幸治 現代法律学講座5 青林書院)
- 「統治行為論とは、「高度の政治性」を有する国家行為は法的判断が可能であっても、その性質上政治部門の決定を最終のものとすべきであって、司法審査になじまない、とする議論である。
著作権に配慮して中略
- また、理論的にも、「高度の政治性」というあいまいな基準によって違憲審査を排除するというのであれば、結局、重要な憲法問題であればあるほど「政治性」も高いから違憲審査が及ばない、といいうことになってしまう。統治行為論は、実際上も理論上も、正当な議論とはいいがたいものである。」
『入門 憲法ゼミナール[改訂版]』213ページより
(浦部法穂 実務教育出版)
2:選ばれた議員が民意をそのまま反映するものではないことは、議員定数の不均衡を巡る訴訟で違憲の疑いまで出されながらそれが是正されない現状や、また、国会議員は選出した特定の団体や地域の意見を代弁するものではなくの自己の信念に基づいてのみ発言・表決するという、自由委任の原則から推測されます。この状態から国民の権利を回復するために裁判所の機能が重要であると考えます。
この点で、下記を引用し、根拠とします。
- 「しかし、政治的代表の考え方は、国民の意思と議員の意思との間に位置の関係が実際に存するかどうかを問題にしない。議員は国民のために活動する意志をもてば足りる。国民の代表の理論が、国民の意思と議員の意思との間に不一致が存在するにもかかわらず、あたかも一致があるかのように説くことによって、実際上の不一致をおおい隠すイデオロギー的性格を濃厚にもっていたと評されるのはそのためである。」
『憲法 新版 補訂版』 260ページより
(芦部信喜 岩波書店)
- 「国民と代表者との関係
憲法上国会が国民の代表者とされるのは、国会が広く一般国民によって選挙された議員により構成されるからである。議員は国民の意向をくみとりつつ国民全体の「福利」のために活動すべき義務を負うが、議員と国民との法的関係は選挙においてのみ現出するにすぎず、議員は独自の判断で行動する自由があるのであるから、国民代表の意志をもって法上国民の意思と解するのは妥当ではなく、ここでの代表は政治的意味においてそうであるにとどまる。著作権に配慮して後略
- 」
『憲法 新版』127ページより
(佐藤幸治 現代法律学講座5 青林書院)内閣が国会をないがしろにし、国会がその機能を果たせない状況であることは、前回提出の甲第25号証の新聞記事にもあるように、「非戦闘地域とは何か」という問いかけに「自衛隊が展開するところが非戦闘地域」と答えて恥じない総理大臣の存在一つでも明らかです。
裁判官の皆様、自らが主導して制定した法律の定義をこのようにしか答えられない行政の最高責任者を放置していいのでしょうか。この無責任の付けを払うことになるのは、危険な地域に派遣された自衛隊の人々であり、その銃口の先に暮らすイラクの人々であり、またその反感から危険にさらされる私たちです。
頼るところは裁判所しかないのです。
第3 請求の趣旨第1及び2項の請求に対する本案の答弁の理由
争います。
1 本件差止請求について
争います。
前記、平和的生存権と幸福追求権の部分で述べたものの他、甲第26号証にて陳述します。
2 本件損害賠償請求について
争います。
前記、平和的生存権と幸福追求権の部分で述べたものの他、甲第26号証にて陳述します。
3 小括
争います。
第4 結論
争います。