【原因であるイラクへの自衛隊派遣と、
アメリカ軍を中心としたイラク攻撃が違法であることの立証】の2
イラクへ派遣されている自衛隊の危険について、甲第27号証を提出します。「非戦闘地域」に派遣されているはずの自衛隊に、市街戦対応の武器改造を指示する通達が送られたというものです。これは、サマワにいる自衛隊への危険性が明らかに高まっていることを表しています。日本政府は、国家でないものとの戦闘は戦争ではないと言いますが、アメリカ大統領は9.11事件のあと、「テロとの戦い」を「新しい戦争である」と宣言しました。
甲第33号証には、今月に入ってからのイラクでの連日の戦闘などが記録されています。1/12にはサマワの自衛隊宿営地に信管付きロケット弾が着弾しています。
甲第44号証では、危険のため日本の報道陣が現地取材できずに政府の行為を国民が監視できない、知る権利を妨げられていること、そのことで、国民は自分たちに起こり得る被害について、防ぐ手だてを奪われていることが述べられています。
甲第46号証では、今年3月に撤退するオランダ軍のかわりに自衛隊の安全を確保する立場になるイギリス軍との関係が書かれています。人道復興支援というならば、胸を張って働ける環境になるべきではないでしょうか。
甲第31号証は、そんな事態を覆い隠す広報ビデオが、派遣延長決定前日に出されたというものです。国会での議論を避けて国会終了後の閣議決定に持ち込みながら、延長は既定の事実だったのでしょうか。
その国会で野党が提出したイラク特措法廃止法案の審議において、与党側議長の行った不適切な議事運営の様子が甲第36号証に現れています。これでは、立法を司る良識の府がないがしろにされていると言わざるを得ません。
甲第34号証の1『ファルージャ 2004年4月』は、イラクで大規模な虐殺が行われたファルージャでの2004年4月に現地にいた人々のレポートからの抜粋です。イラクの診療所・赤新月社も攻撃する米軍、無防備・無抵抗の民間人が殺されていくイラク攻撃の現実。これは、甲第39号証、甲第40号証の1からも伝わってきます。
甲第34号証の2は、前記の本の解説部分ですが、平和的手段の検証を試みることなくイラク攻撃に突き進むアメリカ政府と、それに追随して自衛隊派遣へ国内法を踏みにじる日本政府の動きが描かれています。
甲第40号証の2は、かつてイラクの大量破壊兵器疑惑の査察に国連から派遣されたスコット・リッター氏の証言です。彼は
「わが国は口実を偽ってイラクに侵略したばかりでなく、サダムとその仲間を宮殿から追放しアメリカ人占領者がとって替わることによって解放されるという考えを悪用した。アメリカ人占領者は悪名高かったサダムの監獄を使い続けたばかりか、廃止すべきだった虐待とレイプ、拷問を実行しつづけた。」
と断じています。
甲第30号証について説明します。これは、NHKスペシャルとして2004年12月に放送されたものの録画です。録画し損ねて、冒頭が一部入っていませんが、内容の理解に支障はありません。
第一部『イラク駐留・アメリカ州兵部隊』は、イラクに送られたアメリカの州兵のことが描かれています。州兵とは、日本で言えば消防団のようなもので、日本の自衛隊より更に、他国への派遣は青天の霹靂だった人々かもしれません。地域貢献として、また、奨学金目当てで入った州兵部隊で、思いもよらず灼熱のイラクに送られ、そこで危険にさらされ、同時に他人に銃口を向ける事になった普通の人々のとまどいが描かれています。この中の何人が無事に帰国できるのでしょうか。また、何人が人を殺さずに帰ってこられるのでしょうか。
地域への奉仕だと思って州兵に登録し、イラクに送られた牧師は語ります。
「今まではだれでも信じてきた。今は、だれもが敵に見える」
「もし、子どもを撃つことになったら、神に、なんて説明すればいいのか」
「ここでうまくやっていく自信がない。ひとつひとつが心にのしかかって眠れない」
家族への国際電話も控えるようになった学生は語ります。
「こんなに死ぬのだとは思わなかった」
家族の無事を祈ってアメリカで待つ家族はつぶやきます。
「悪いニュースは見ない。どうしてやることもできないのだから」
自衛隊員のご家族もきっと・・・と思います。こんな思いは、何のためなのですか?
第二部『こうして支局は閉鎖された』では、アラブ発のメディアとして現地で報道を続けたためにアメリカ軍から敵視され、爆撃に会い、とうとう強制的にイラクでの支局を閉鎖されたアルジャジーラの事が描かれています。「戦争で最初に犠牲になるのは真実だ」という言葉があります。昨今のNHKへの政治家介入事件も思い起こされます。
今ならまだ間に合います。戦争へ巻き込まれる前に、止めてください。
イラク特措法は、その目的は間違っていないのでしょう。でも、手段はこれでいいのですか? 「自衛」隊というなら、刑法の正当防衛の制限を守ってしかるべきではありませんか? ともに憲法の精神・目的を実現する手段として制定されたはずの法律に齟齬があるのはおかしいのではありませんか?
- 刑法(正当防衛)
第三十六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。日本に対する「急迫不正の侵害」があったのですか? 武器を持ってイラクにいることは「やむを得」ないことですか?
イラク派遣から変えて大津波被害の救援活動に行った米兵たちは、イラクでの活動と引き比べ、やりがいのある活動だと喜んだそうです。
平和は、そういうところからこそ生まれるものではないでしょうか。
甲第47号証を提出します。
今年に入っての新聞記事です。1月31日の国民議会選挙を控え、混乱したイラクではその成功が危ぶまれています。議会選挙という民主的手続きを武力で成立させようとしたアメリカ政府の根本的な間違いがそれを招いているのです。1月16日付け毎日新聞より引用します。日本人記者が現地に入れないため、イラク人の助手に取材を依頼したという内容です。
- 「助手はイスラム教シーア派教徒(多数派)で比較的、選挙へ期待を抱いている方だ。ファルージャの取材に際しては、「幅広い意見を聞くように」と注文したが、助手は「攻撃に賛成する声を拾うことは不可能だった」と語り、選挙についての「住民の関心はまったくなく、選挙について語る雰囲気さえない」と報告する。」
アフガニスタンでは爆弾と救援物資を空から降らせたアメリカ軍。それを拾おうとして爆弾や地雷の犠牲になった子どもたちも出て、攻撃と同時の救援が役に立つと思う思考の矛盾と傲慢さが指摘されました。爆弾と民主主義も、両方一遍にもたらせると思うのは同じ間違いです。
【そのことによって引き起こされている私の損害】の2
現在、私は米軍・自衛隊機の飛行訓練経路の下で暮らしています。そのことで、騒音被害を被り続け、落下物・墜落の危険にもさらされています。前回陳述したように、それはただの危険ではないのです。落下物・墜落の被害に遭うということは、単に物理的な被害にとどまらず軍隊の論理と向き合う危険であるのです。そのことがとても恐ろしいのです。騒音・落下物・墜落の危険・被害について、甲第28号証『基地のたらい回しはごめんだ』・甲第32号証の1〜4神奈川県内の米軍機墜落事故や藤沢市での米軍・自衛隊機騒音調査の記録を提出します。私は、甲第32号証の3にある騒音調査地点のうち、市民センターの近くで暮らしています。基地からの距離はありますが、航路の直下なので、天候不順な日は、ジェット機が雲の下を飛ぶのか、今にも墜落してきそうな爆音にさらされています。
甲第35号証『なぜこんな苦しみを』は、23年前に行われた米軍・自衛隊による被害を受けた人々のつどいの記録です。受けた被害の形は違っても、いずれも相手が軍隊にかかわることで解決への道のりが遠く、人権を踏みにじられている人々です。その被害がいまだに回復されない方々もあります。軍隊を持たないはずのこの国で、なぜなのですか?
自衛隊が国内にいたときでさえ、こうなのです。勝敗がかかった戦争に出ていった今は、軍の論理もさらに強いものになっているはずです。“小事”にかかずらわっている余裕はないはずですから。どちらかが負けるまで引くことができない、それが戦争のはずですから。
戦争の被害は、肉体が傷つくことに限りません。それは、軍隊の論理が平和な暮らしの論理を押し切ったときに起こるものなのです。
このことの証明の一環として、1977年に横浜で起きた米軍機墜落事件の被害者、椎葉寅生さんの証人尋問を申請します。現在の椎葉さんについては甲第38号証を提出します。
甲第42号証と甲第43号証は、横須賀や相模原・厚木基地周辺からの、軍隊があることでの被害の実態の記事です。
また、もし、イラク攻撃について「正義の戦争」という言い方を認めるならば、それは、同じ名目の原爆投下も神戸や東京への無差別大空襲も認めることになります。「ノーモア、ヒロシマ」「ノーモア、ナガサキ」でなく「ヒロシマ ワンスモア」「ナガサキ ワンスモア」で、いいのでしょうか。この件について、甲第37号証「もし日本がイラクだったら」を提出します。戦争の被災を自分のこととして受け止める感性こそが平和へ導くものと信じます。
甲第53号証をお読み下さい。25日付の毎日新聞です。スマトラ沖地震・津波で大きな被害を被ったインドネシアの陸軍司令官との会見で、同国が、救援に参加している外国軍の早期機撤退を求める可能性があることを報じています。インドネシア政府は、独立運動との抗争が続いていて政情不安な状態であることから、これに乗じた外国軍の勢力拡大や定着を危惧しているものと見られます。つまり、武力を持った組織では、衣の下に鎧が見えるのです。真からの人道支援とは見られないのです。イラクは、現在権力の中枢がアメリカ軍に握られているため追い出されることはありませんが、心から信じられているとは思えません。自衛隊も同じでしょう。
甲第54号証は、イタリアからイラクの武装勢力に要員を派遣していたチュニジア人が対テロ活動法違反に問われたところ、ミラノ地裁はこれを「ゲリラ活動が市民を対象にしたテロを含んでいたとは認め難い」と判断してこの罪状に関しては無罪を言い渡したというものです。
平和を求める人に向けられる言葉に「平和呆け」という言い方があります。これは、戦争好きな人にこそ返したい言葉です。戦争になったら正義なんてどこかに消し飛んでしまうのです。武力で正義が勝ち取れるなんて思うのは妄想です。片方が正しい武力で片方が無法なテロということはないのです。そこにあるのは、どちらも武力でぶつかるしかない世界です。双方が、それぞれの正義を掲げる殺し合いに他ならないのです。