2001年12月8日開催
平権懇15周年記念シンポジウム

米軍のアフガン報復戦争と自衛隊の戦争参加を問う
主催・平和に生きる権利の確立をめざす懇談会

HOME > シンポジウムトップ > 西沢1西沢2本間1本間2

アフガニスタンでの米軍による武力行使と日本の協力:2
       --主として国際法の視点からの問いかけ

本間 浩

■米英のアフガン攻撃は国連の枠内か

 というのは、今回のアフガンの事態に関する国連の決議安保理事会1368号決議がありますが、ここに「国際連合憲章の原則と目的を再確認し、テロリスト行為によって生じた国際の平和と安全に対する脅威とあらゆる手段を用いて闘うことを決定した」と書いてあります。湾岸戦争の時はいずれかの国連加盟国に対して「あらゆる手段」をとる権限を認めた。

 ところが今回の9月12日の決議では、主語は安全保障理事会です。安全保障理事会があらゆる手段を用いるのであって、湾岸戦争の時の決議とは全然違うのです。

 それでは国連として何をすべきであったのか、何ができたのかということになります。いま紹介したように、国連が平和に対する脅威の存在を認定することは、強制行動への一つのステップになるわけです。国連が強制行動を採ることができる。ところが国連はこの点で、米英軍の武力行使に委ねた。これは国連の歴史に大きな禍根を残すのではないかと私は思います。

 ちなみに、安保理決議の1373は資産の凍結とかテロリスト構成員の募集の禁止、それから武器援助の禁止を定めているわけですけれども、この場合は国連憲章第7章に基づくと掲げているんですね。しかし米英両国が武力行使の根拠としている1368号決議は、じつは拘束力のない決議です。こういう違いは大きな意味を持っていると思います。

■「戦争」というとらえ方

 次に「戦争」というとらえ方についてですが、じつは「戦争」という言葉と「自衛権」という言葉、これは論理矛盾なんですね。自衛権という考え方は、戦争を否定した上で初めて成り立つ考え方です。そこの区分をきちんとしないでアメリカが両方を使っているということは、自衛権の考え方についてアメリカがいかにいいかげんかということが言えると思います。

 アメリカは自衛権について、国連憲章が定める武力攻撃に限らない、自力救済とか報復戦争も含めてできるという、自衛権論のなかでも無制限論の立場をとっています。これは国際慣習法上の自衛権の考え方ですね。その出発点は、19世紀のアメリカのウェブスターという国務長官の発言です。19世紀には戦争の違法化という国際社会の基本的な構想、あるいは価値観は存在していなかった。そういう中での自衛権の考え方です。そういう自衛権が歴史的に見て何度も乱用されてきたために、武力攻撃という言葉を入れて、なんとか自衛権の乱用を防ごうとしたのが国連憲章です。この歴史的経験をアメリカは否定しようとしている。

 アメリカはそういうふうに矛盾しているんですけれども、国際慣習法上の自衛権であるならば、国連憲章と無関係に存在し得るわけですね。にもかかわらずアメリカは、今回のアフガニスタンにおける行動を、自衛権行動として国連の安全保証理事会に報告しているんです。この報告というのは国連憲章の51条に義務づけられております。そういう意味でアメリカは、根本のところにおいては国連憲章を適用しない、部分的なところで国連憲章を使う、こういう矛盾した対応を繰り返しています。

 そして本当に自衛権の発動であるならば、加えられた攻撃と加える攻撃との間に、一種の均衡性といいますか、プロポーショナリティ(釣り合い)の原則が成り立っていなければならない。ところがアメリカはタリバン政権を潰すということをやったわけですね。これはとても、プロポーショナリティの原則に合致しているとは言いがたい。

 こういう矛盾した自衛権の考え方は、じつはブッシュが初めてではなくて、クリントン政権時代から採用されていました。1998年にタンザニアとギニアでアメリカの大使館が爆破されましたけれども、それに対する報復として、アフガニスタン内のアルカイダのテロリスト基地、それからスーダンの薬品工場を攻撃したのですね。その時の理由づけが自衛権の考え方でありました。

 しかもたいへん問題なのは、ドイツの大使などの人たちですら、このスーダンの薬品工場が化学兵器を作る工場ではないと言っているんです。にもかかわらずアメリカは攻撃した。しかも国連による調査をアメリカは拒否した。調査を認めれば自衛権の行使も認めるかということになりますと、そうはならないと思いますが、やはり国連による調査は受け入れるべきだったのではないかと思います。

 それから、戦争概念の変質の問題があります。対テロという「新しい戦争」という考え方を立てるのは正当か。いずれにしろ国連憲章戦争は否定されているのですから、戦争概念の変質も何もないということが言えると思います。

■米英の軍事行動と国際法との断層

 米英のアフガン攻撃は、国際法と国際法で承認される国家責任追及方法との間に断層があることを明らさまにしました。もともとはアルカイダ、そしてビンラディンの身柄の引き渡しの実現をしようということであったわけですけれども、その実現の方法としてこのような武力行使をするというのは、その間に大きな断層があると言わざるを得ないと思います。

■国際法的枠組みでの解決は可能か

 テロに対して従来の国保障理事会は、平和の破壊、平和に対する脅威を認めているわけです。ですから強制行動をとりうる。国連憲章第8章には、あまり注目されていないんですが、国連が地域的機構を使って強制行動をとり得るという原則が書かれています。その原則を使えば、私は強制措置の実現はできると思います。

 それから、国際法廷で処罰する国際刑事裁判はどうかということですが、先ほど申し上げましたように、ハイジャックや人質禁止の条約では、各国が国内裁判で処罰することになっています。それとは別に国際刑事裁判所を作るということになりますと、遡及法の縛りがかかってくる。つまり、犯罪を犯した後にできた裁判所によって、裁判所ができる前の犯罪を処罰することは、原則としてできない。

 1998年に国際刑事裁判所規定というのが作られまして、いま各国の批准を求めています。ここでも遡及法の原則は基本原則として掲げられているんです。そういうことからすると、もし国際刑事裁判で処罰するということになれば、まったく新しい裁判所を設置する必要があるということになるかと思います。

■非人道的兵器の使用

 国際法において、使用武器に対するいくつかの制約原則があります。

  • 一つは、必要以上に苦痛を与えるような武器を使ってはいけない。
  • それから、一般市民と戦闘員とを区別できないような兵器を使ってはいけない。

これを二大原則ということができます。

 先ほどの西沢さんの説明では、どんなに精密な兵器を使っても、誤爆はあり得る。そういうことになりますと、いかなる武器も使ってはならないということになっていくのだと思います。

 ですから、必要以上に苦痛を与えるような武器を使ってはならないとか、市民と兵の区別がつかないような武器を使ってはいけないというのは、恐らく兵器の目的としての判断だと思います。つまり結果として一般市民を巻き込んでしまったというのではなくて、その武器の性能からして一般市民と区別できない兵器は使ってはならないということになるかと思います。

 違法武器使用に対する国家賠償責任の有無ということがありますけれども、それについては、広島原爆訴訟の違憲判決が、一つの明確な決定を下しています。原爆がなぜ違法か。これは一般市民と戦闘員を区別することができない兵器だからです。そういう兵器を広島という市民がたくさん住んでいる地域に落としたのは、国際法上の違法行為なのだという判断をしたわけですね。それでは国家賠償責任を認めたのかというと、裁判所は従来の考え方に戻ってしまって、個人が国家に対して賠償請求をするには、そういう条約が設定されていなければならないということで、結局個人への賠償責任は実現されないままで今日まできている。

■自衛隊の協力に伴う国際法・憲法上の問題

 自衛隊の協力に伴う国際法・憲法上の運用の諸問題については、すでに西沢さんからお話があったところですけれども、私の方から見ても、テロ対策特別措置法に基づく援助というものが、戦闘における支援と違うんだと政府は説明しておりますけれども、これはあくまで日本の中でしか通用しない説明です。相手側から見たらどう見えるでしょうか。これも結局、集団的自衛権の行使と見られるだろうと思います。

 それから、NATOの協力とその問題点からの検証ということですけれども、一言だけ言わせていただきますと、なるほどNATOは理事会の決定として初めてNATO条約の第5条、つまり自衛権行使に基づく出動を決めました。それでは各国がどういうふうに動くのかということですけれども、イギリスは別にして、各国は非常に慎重です。単に集団的自衛権の行使を決めるということと、それを実行するということの間には、もう一つ距離があるということも考えておかなければならないと思います。

■日米安保の変質とその固定化

 結びに変えて、とくに申し上げておきたいことは、日米安保条約が変質したということです。

 今まで国会等において政府はいろんな方便を使って、アメリカの行動を支持しようとしました。例えば日本の領海の外に出たならば極東条項が適用にならないとか、あるいは極東の外にでれば日米安保条約は適用にならないとか。しかし方便を使わなければならないというところで、まだ拘束力があったということが言えると思うんです。ところが、今回こういうふうに安保条約とまったく関係のない地域での行動まで認めるということになりますと、もう日米安保条約は内部から破壊されてきているということが言えると思います。

 もう一つ申し上げておきたいことは、アメリカに対する行動のありかたについて、一つ一つ、日本政府の主体的な判断が求められているということです。憲法98条には国際条約の遵守義務が掲げられておりますけれども、これは国際違法行為があった場合にはそれを拒否する、拒否しなければならないということも、この中に含めているんではないかと思います。他に憲法について語りたいこともありますけれども、時間になりましたので、これでおしまいにさせていただきます。


Back

15周年シンポジウムトップ

HOME