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いま、平和に生きる権利を主張しよう 
――日本核武装につながる改憲動向に抗して

【4】 平和に生きる権利を主張しよう
●平和的生存権論のいま
 さてここまでで、今日の問題のひとつをやっと終わったところです。これから、平和に生きる権利(平和的生存権)について現状と課題を読む、こういう論点に進みましょう。
 平和的生存権は、じつは非常にホットな論点になっております。改憲論に対抗する議論として平和的生存権論を掲げるという、いわば政策論の柱の役割をするというのがひとつです。他方では、憲法訴訟で、法廷で闘う戦術論の焦点であるということがあります。このように、いま平和的生存権論は、時とところに応じて、いろいろな顔を見せる、より正確にいえば性格や内容を示すのだ、ということができます。
 例えば平和的生存権論は、社民党の「論点整理」(3月10日)でも権利論の冒頭に置かれまして、非常に強調されています。いわば改憲論に対する社民党の見解の中で平和的生存権を中心に置いてがんばるという姿勢が見てとれます。そういう意味では平権懇は日本の社会民主主義党の見解に大きな親和性を持っていることになります。
 私が2001年5月、参議院の憲法調査会に呼ばれたときも、そこにはすでに社民党を離れた大脇雅子さんがいまして、質問をしてくれました。大脇さんにも平和的生存権宣言みたいなものがありますね。そういう動きがすでにありました。
●平和的生存権論の源流
 じつは先月、深瀬忠一教授(北海道大学名誉教授)を中心とした研究会を開きました。テーマは平和的生存権です。深瀬教授はご自分の平和的生存権論を、今日の憲法問題の中軸に据えるにはどういう方向性あるいは視座が必要かを話されました。私はまず、深瀬教授の平和的生存権論は何であったか、何であるか、何でありうるかという話をしました。

 平和的生存権については、そこで争われた状況に照応した形で、その性格や内容が作られたという歩みがあります。まず恵庭裁判の段階では、牧場経営者が自衛隊の演習によって酪農経営が脅かされるから、軍隊に妨害されずに生活することが憲法の保護法益だという主張がなされた。これが平和に生活する権利を主張した久田栄一教授の、憲法13条論の背景ですね。これに先立って、星野安三郎氏のいうところの、憲法9条を根拠とする学説があったけれども、これは理論的な認識をおこなうための概念であって、平和的生存権に裁判規範性を認めた学説ではなかった。恵庭裁判でその裁判規範性を主張したのは、弁護団の理論活動を別とすれば、学説ではとりわけ深瀬忠一教授の功績でしょう。【註21】
 私や山内敏弘教授などが主張するところの、憲法前文を根拠とする学説は、恵庭裁判から長沼裁判に移るところで出ました。とくに長沼では憲法13条、9条、それに前文、この3つを憲法上の根拠とする議論を合成して、1973年の札幌地裁判決を獲得したわけであります。長沼基地訴訟では、馬追山を切り開いて、核兵器と非核兵器、この両方を打ち出せるミサイル基地をつくるという状況が問題になりました。ですから、核兵器の時代という大状況が平和的生存権の内容に採りこまれることになった。長沼の住民は、ひとり住民の利益を擁護するのでなく、国民の生命を守るため核攻撃基地の設置に反対できる、こういう主張が説得力をもったのです。
 この平和的生存権の生命保持という法益は憲法体系全体によって守られる。憲法体系はさまざまな法律によって具体化されている。その法律のひとつが水源涵養保安林を保護するところの森林法である。したがって森林法の定めは平和的生存権の保障を認めている、こういう主張や議論になったわけです。
 ここで言えることは、長沼の平和的生存権論は裁判規範論としてつくられたということです。ですから、戦術的な性格をまぬがれないものであった。憲法9条の解釈でも、憲法学説の大方の意見を集約する。例えば、平和的生存権論は憲法前文、9条、13条、この3つを根拠とするが、そればかりか、第2章「国民の権利」を含む憲法体系全体によって守られるという。こうした学説は、そうした時代の産物でもあったという側面があるでしょう。 
●基地公害裁判論

 平和的生存権を認め、自衛隊違憲説を採用した1973年判決を獲得した後は、控訴審で統治行為論を主張されて憲法判断を逃げられる。最高裁に行ったら、もうため池施設が十分にできているから洪水になることはないだろうと言って、ここでも憲法判断抜きでやんわりと逃げられる。こういうことですから、長沼訴訟の73年判決それ自体は、控訴審や上告審で否定されたわけではないんです。
 しかしこの結果から、どういうことが言えるかというと、平和的生存権というものは個別法令によって具体化されているという積極的な主張ができるとともに、他方において国民一般の抽象的な利益が侵害されたからといって平和的生存権を主張することはできない。そういう消極面がある。であるがゆえに、弁護士の榎本信行さんなどが横田米軍基地訴訟を起こして、9条2項論を柱とするのではない、ただ基地公害から自由な暮らしを求める裁判を追求された。そういう裁判で確かに米軍の軍事的公共性というものは否定されるけれども、憲法9条2項や1項、とりわけ平和的生存権の主張はもう取り上げられなくなっていきます。【註22】

●沖縄基地訴訟や市民平和訴訟で
 そこでまた平和的生存権が主張されるようになるのは、沖縄の米軍基地訴訟です。【註23】沖縄では米軍基地があることが、ひとびとの暮らしを侵害しております。榎本弁護士のいう「平和に暮らす権利」が侵されております。沖縄には、さまざまな基地訴訟がありますが、例えば大田昌秀知事が被告となった職務執行命令訴訟では、私の平和的生存権が援用されました。 
 また冷戦後、1990年代に入ってから、湾岸戦争が起きます。そこに日本が巨額の金を出して参戦することは、憲法上許せないという運動がおきます。この裁判の支援者はもう労働組合や圧力団体ではなくて、その担い手は一人ひとりの市民、金も力もないが知恵と勇気がある市民たちになります。
 市民平和訴訟は全国各地で闘われて、いろいろな学説が展開されました。湾岸訴訟の場合、国民が戦争に加担したくないという要求は抽象的利益の侵害に過ぎないとすれば、この理由では裁判で救済を求めることは出来ない、こういうことがはっきりした。これまでの深瀬教授の学説は使えないということになったのですね。だからどうするかを考えたときに、高柳信一教授が主張した平和に対する権利という学説にたちもどった。何らかの形で通常訴訟にのる法律構成ができれば、そこで平和に対する権利を主張できるという見解です。ここに立ち戻って主張することになったわけです。そういう市民平和訴訟の中で、あらたに「殺されない権利」や「殺さない権利」を内容とする平和的生存権を主張しました。市民平和訴訟の東京訴訟は、高柳理論を浦田賢治の議論でもって補強する形で闘われたわけです。【註24】
 しかし法廷で主張する場合、国家賠償法で救済するに値する権利侵害があったか、これを争点とすることになります。こうした法廷技術上の枠に縛られた議論になります。しかも判決書によると、「殺さない権利」とか「平和を求める良心」といったものは、国家賠償法で救済するに値する権利ではないと、きわめてそっけないものです。しかも訴訟に対する裁判所の態度そのものがきわめて悪い。私は憲法研究者として東京地方裁判所で証言した。にもかかわらず、この学説証言が判決の理由書きではまったく無視されている、証拠として判決文に挙がらないという扱いです。憲法学者に「言うだけは言わせて、後は無視する」、そういう憲法訴訟のあり方というものに接すると、この裁判官たちの職業倫理は頽廃しているとしか言いようがない、じつにひどいものであります。
●イラク戦争と平和的生存権論
 いま平和的生存権論はどうなっているか。近況を知る限りで申しますと、小松基地訴訟では精神的人格権論が出ました。沖縄の嘉手納・普天間基地でも精神的人格権論を平和的生存権論を補強するものとして主張しました。「法と民主主義」誌の昨年11月号にはこの見解が述べられています。他方、ゴラン高原派兵訴訟では山内敏弘教授が証言しております。
 さてイラク戦争がおきてから、自衛隊派兵の違憲性を主張する訴訟では、「法と民主主義」誌の去年の8・9月合併号で述べられています。ここにはイラク派兵北海道訴訟の問題が出ていますが、特徴は人格権論です。ちなみにイラク戦争の違法性についてぼくは、最近ウィラマントリーの書物を翻訳し、編集して出版しました。【註25】
 人格権は、憲法上の根拠それ自体は従来主張されなかったけれども、今日は憲法13条に根拠を求める、こういう展開が出ています。生命・自由・幸福を追求する権利に根拠づけられるとするものです。憲法13条は憲法の中でそれとして名指しされていない基本的人権を包括するものとしての根拠となる。そういう議論が強くなっていまして、13条論が前面に出てくることになります。
 次いで民法上の権利として主張されてきたところの人格権も援用します。そのひとつが朝晩の飛行機の発着差し止めが争点となった大阪空港訴訟の人格権論でありまして、それは身体的な人格権でした。しかし自衛官合祀訴訟で主張された宗教的人格権、あるいは精神的人格権としてふくらませて主張することになります。その特徴は、とりわけ民法709条の権利侵害がなされたと主張するので、侵害された利益というものを具体的に示さ
なければならない、このように言うわけです。そうした709条論の土俵に乗って、侵害された利益は何かをいま一生懸命に議論しています。最近では、単に「殺されない権利」「殺さない権利」という次元ではなくて、戦争に参加しない「平和的確信」の主張もしています。
 総じて、平和的生存権論の中身はいま全国で展開されている訴訟の中で、それぞれのところで多様化しています。【註26】けれども、ネックになっているのはやはり国側の主張、そのいちばん元は裁判所法3条にいうところの法律上の争訟とは何かということです。もうひとつは平和的生存権論についての百里の上告審判決です。この2つが設定した枠の中で、すくなくともこれを意識して闘わなければならないと考えている。そこが苦しいところですね。

 さて、1973年の札幌地裁判決の趣旨は、78年には国連の第1回軍縮特別総会(SSDI)の決議に影響を及ぼして、平和的生存権の宣言の中に採り入れられます。札幌からニューヨークの国連にまで飛んでいくわけであります。しかしグローバルな国連での議論と、札幌地裁判決が言ったところをつなぐ、そうした地道な作業が必要です。憲法研究者たちが、1973年判決以後、平和憲法の政策研究をおこない、その提言を行ってきましたが、それはこうした背景があってのことでした。【註27】いま、日本やアジア太平洋地域で、平和的生存権というものをどのように具体化できるか、こうした議論をしていかなければならないと思います。
5】 憲法学の役割を問う
●自省――憲法研究者のありかた
「いま 平和に生きる権利を主張しよう」と、われわれは考えております。そういう中で、憲法学はどういう意義と役割、そして射程を持ちうるだろうか。憲法研究者の一人として、このように自問するのであります。
 憲法学は、基礎理論と実用理論を含みますが、実用理論をさらに仕分けすると、法解釈の技術論と立法や行政の政策論を含みます。これらの学問の多くは、明治以来今日まで140年にわたって、統治者とりわけ官僚のための法律学でありました。しかし、これと対抗する市民の立場からする憲法学を作りあげる努力も、戦前戦後を通じて営々と続けられてきました。この場合、憲法論はすぐれて思想や精神という価値観に影響を受ける性格のものです。歴史から切り込むという角度もありました。この点を、まずもって留意しておきます。

 そこで、つぎに時系列的に、若干の事実をあげて歴史的なおさらいをすることにします。これによって、いまに受け継ぐべき教訓があれば、それに学びたいと思います。わかりやすい例を挙げれば、帝国憲法制定(1889年)以前の自由民権の憲法論です。わけても植木枝盛や中江兆民など著名な思想家がいますが、それ以外にも草莽の志士が大勢いて、私議憲法草案といったものを作っておりました。【註28】これらは、自由民権運動を弾圧した岩倉具視・伊藤博文らの帝国憲法制定構想によって、むげに退けられました。矢野文雄が起案したという大隈重信の憲法構想も、明治14年政変(1881年)によって力で押さえ込まれました。しかし、帝国憲法は「富国強兵」の軍事大国化によって56年で自滅しました。

 帝国憲法施行後50余年の間にも、民間の憲法論があったのであって、転向と言う不幸な経歴はあるけれども、例えば鈴木安蔵の場合、方法論では科学的社会主義というマルクス主義の立場にたって、日本憲法史論や比較憲法史論を造り始めておりました。これについては、最近の「法と民主主義」誌でも、取り上げております。【註29】他方京都には、クリスチャンである田畑忍教授がいて、その憲法・政治学のあり方によって、なんと休職処分をうけるという抵抗活動をしていた。しかし、天皇機関説が美濃部達吉の場合に見られるように、1935年2月以降の弾圧でもって、いわば国禁の説となるに及んで、憲法教授たちは早稲田の副島義一を含めて、天皇機関説を見限って、国体憲法論の方になびいたのでした。戦後、軍国主義推進に協力した憲法教授の追放がなされたことは、いまではあまり知られてはいないでしょう。

 さて、1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾でもって、日本敗戦が公式に決まった。そのあとすぐ、鈴木安蔵は憲法制定をめぐる舞台に復帰しました。例えば知識人たちに呼びかけて憲法研究会を組織して、GHQ(連合国最高司令部)の憲法案作成に影響力をもつように、憲法草案を起草し、ガリ版刷り英文翻訳を提出するなど、活躍しております。こうした敗戦直後当時の知識人の活躍ぶりを振りかえると、自分の仕事振りについてまことに忸怩たるものがあります。

 しかしここで言いたいのは、次の点です。いま、大学の憲法担当教員はおよそ1,000名を数えるでしょう。とすると、これらの憲法研究者たち、一人ひとりが、激しさを増す憲法改正論義の渦中で、あれこれと悩んでいるだろうと思うのです。だが考えてみると、戦争体験を持たず、産まれたときから、ずっと日本国憲法のもとで生きてきたので、平和と自由を自分で闘いとったという体験も感覚もない。そこへもってきて、いま、この憲法が攻撃の対象になっている。国会だけをみると、自公という政権2党も野党である民主党も、憲法9条2項と平和的生存権を解体する方向に進んでいる。民衆の世論というものも、無知蒙昧の輩が作り出すかと思われるほどで、信頼できない。こう考えたとき、平和的生存権を擁護するか、また徹底軍縮をめざす9条2項を堅持するかどうか、悩むことになるでしょう。もし職場で居心地が悪くなっても、また職を賭しても、敢然と闘うかどうか、おおいに悩む事態が起きているかと思うのです。 
 こうした苦悩のなかにあるとき、知識人であるなら、その精神の自立を失ってはならない。だが、それには、自分の倫理感にたがわないばかりでなく、時代を見通すとう見識が要るとおもうのです。憲法教授という仕事は、自分で愉しんでしている作業でしょうが、しかし学生や同僚との交流を通じて、社会的な意味合いをもたざるを得ない。いわば、「職業は天職でもある」場合に最も幸福を生み出すのではないか。これがぼくの自覚です。
 こうした考え方をするので、ぼくは憲法教員、あるいは研究者たちに向けて、日本国憲法の価値に確信を失ってほしくない、このように切実に感じるものです。それとともに、そう希望するものであります。こうした関心からして、ぼくも悩ましいのですが、2つの検討課題だけを取り上げます。
●転換期の意味合いを問い直す
 ひとつ、いま時代は世界史の転換期にある。核兵器が支配し、宇宙にまで人類が飛び出して行こうとする時代であるといわれる。そういう転換期の意味合いを明らかにすることです。しかし転換期論に足を掬われると、「いまの憲法は時代遅れだ」ということになりかねない。この時代が、なぜ日本国憲法9条と平和的生存権を必要としているか、こういう議論につなげていく必要があると思います。
 平和的生存権は「核兵器による世界覇権」論ともっとも鋭く対決するものです。「核兵器による覇権」という幻想を解剖し、批判し、克服することが必要だと思います。

 もうひとつ、それはとりわけ日本政治の転換期の問題です。キーワードのひとつは「構造改革」でしょう。1980年前後から新自由主義というイデオロギーで武装した「構造改革」路線が、中曽根政権以降始まりました。1985年のプラザ合意で、急激に2倍以上の円高になって、バブル経済が生じました。その後、冷戦後と重なる「失われた10年」が過ぎます。そのちょうど半ばに、橋本政権の1996年「六大改革」政策が実施された。これでもって、「企業社会」主義や「利益誘導」政治が立ち行かなくなりました。
 ここ数年の小泉政治は、橋本政権や中曽根政権と比べて、いっそうワシントンからの指令に忠実に沿って「構造改革」路線をすすめて、戦後日本の経済・社会・政治の良いところを壊しています。例えば、破綻した日本の企業や安すぎる日本の株を、ヘッジファンドを含む金融資本が極めて安く買い叩くという事態を生んでおります。これも、巨大な核兵器システムをもつ「唯一の超大国」、いってみれば「アメリカ帝国」の傘下にある日本の支配層たちが、否が応でも選択した結果です。ですから、アメリカのエリートからは「自己責任だ」といわれるでしょう。
 さて、ある見方によると、自民党には改憲について3つのグループがあると言われています。【註30】ひとつは小泉純一郎などの新しいナショナリズム、これは日米基軸の中で日本の国益を追求しようとするもの。もうひとつはインターナショナリズム、小沢一郎に代表されるもので、国連主導で日本の安全保障をはかる。3つ目が中曽根康弘に代表されるナショナリズムで、日本の歴史と伝統を基軸に据えて改憲論を主張するものです。
 こうした見方が正しいかどうか、吟味を要します。これは「違憲状態」を合憲だと釈明する「うそ」を認めて、正直になろう、そのために憲法改正しようという改憲是認論による分析概念です。だが使い方によれば、客観性をもった分析概念でもあります。とすればこれで、一応考えてみることにしましょう。

 では、新ナショナリズムと新帝国主義の、そのイデオロギーと動きをどう捉えるか、このことが、2つ目の転換期論を解くカギになるかもしれない。このイデオロギーと動きは、「アメリカのネオコンの帝国」論に従属するとともに、自発的に共鳴しているところがあると思われる。例えばイラクへの自衛隊派兵の場合、ブレアとともに、小泉もワシントンの命令に従うとともに、イラクの石油資源の分け前にあずかろうとすることです。
●ネオコンの「帝国」論
 ここでの着眼点は、この「帝国」とはなにか、ということであります。「帝国」という言葉は藤原帰一氏やアントニオ・ネグリなどでは「帝国主義論なき帝国」となっている。帝国主義論をどう捉えるかということが、イラク戦争などで再びオルタナティブを求める陣営の中で、議論されるようになっています。帝国主義論と新しいナショナリズム論を明らかにしていく必要があります。
 とすれば、さて明るい展望があるだろうか。「アメリカ帝国」の現実と将来展望を分析することによって、アメリカ・ネオコンの帝国論が、今すぐ破綻するのではないが、手負いのライオンのように、凶暴化する恐れが十分にあるでしょう。したがって、これが生き延びる過程で、武装闘争を含む反撃を呼ばざるを得ず、新たな世界戦争を引き出す恐れがあります。あえて注意しておけば、ぼくは一定の状況下での武装闘争の合法性を認めるけれども、しかし武装闘争一般を支持するものではありません。1960年代の植民地解放闘争は、国連憲章でいう人民自決権の行使であるとして、その武装闘争は合法だったのです。しかしいま、イラクを侵略しているアメリカの戦争に勝者はなく、戦争で疲弊した帝国は、したがって決して長持ちしないだろう、このようにしか言えないのです。いま「アメリカ帝国」は、支配圏あるいはそのための戦線を拡大しすぎているのではないでしょうか。ベトナムでそうであったように、イラクからも、いずれ撤退を余儀なくされるでしょう。

 アメリカ国内に目を向ければ、例えばフォードやGMに象徴される衰退する製造業を中心とした経済状態があります。貿易と財政での巨額な双子の赤字がふくれて、中国やヨーロッパ諸国がドル離れしつつあります。ドルと株の下落傾向に見る金融腐食、エンロン汚職に見られる企業エリートの腐敗がある。そして性差別やエスニシティ差別をめぐる文化戦争があり、さらには医療費の負担で破産する人々、過剰消費のあり方をふくめて、ここにみる倫理や道義の退廃などなどがあります。こうした事態は国内の分裂を深め、それは国運を傾けるでしょう。栄えた帝国も必ず滅亡する、「帝国の興亡」は歴史の必然であります。
 いまこうした否定的な側面を直視するかぎり、アメリカのエリートたちは、理性的な説得による市民統治能力を除除に弱めていると思います。例えば、9月11日事件後の「愛国者法」にみられるように、市民的自由が乱暴に制限されています。ジョージ・オーウェルの「1986年」の世界がアメリカで出現しているのではないか。これは社会の監獄化につながります。
 にもかかわらず、ブッシュ政権はめでたく2期目を迎えたという現実が、われわれの前にあります。これも二大政党制と結びついた選挙制度の運用上の問題によるのではないか。2000年と2004年のアメリカ型大統領選挙の実態は、テレビが演出する「劇場の政治」であって、マジソンが描いたような代表民主政でなないでしょう。こうだとすると、アメリカの民主主義そのものが危機状態にあると、ぼくは見ております。
 こうした側面とは別の健全な社会的要素も働いており、国内での権利闘争が続けられて
おります。労働運動や市民運動一般にはふれることができません。しかし例えば、次のような活動があります。イェールやコロンビアといったアイビーリーグの大学で、学生指導にあたる大学院生たちが組合を作って、労働条件の改善闘争を進めています。日本の状況とは、大違いでしょう。また、2年前からコロンビア大学(ニューヨーク)では、著名な学者であるサイードを擁していた、そのアラブ・パレスチナ系学科にたいして、ユダヤ系の組織から激しい攻撃がありました。これは学科自体の解体攻撃にも進んだそうですが、これにたしてニューヨークCLU(直訳すれば市民的自由連合)を含めて、「学問の自由」を守る運動を展開しております。
 このように、危機と機会、クライシスとチャンスは、一対のものです。ですから、「いま、平和に生きる権利を主張しよう」という場合にも、こうした弁証法的な事態の進展を見据え、正しい認識をし、かつなすべき行動をするという態度を堅持したい。そのために、必要かつ有益な議論をしていきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

追記:
この原稿は、2005年4月23日に「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会(平権懇)」主催の集会でおこなった報告に、急ぎ大幅な加筆をして出来上がった。この過程で、同懇談会運営委員の大内要三・松尾高志の両氏に草稿を読んでもらい、有益な助言をいただいた。記して謝意を表したい。ただし、この報告の内容にかかわる責任は、一切私にあることを付記する。(2005年5月24日)


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