西沢優さんの遺稿集「派兵国家への道」
ご案内
派兵国家への道
 一昨年1月に逝去した西沢優さんの遺稿集出版にあたり、多くのみなさまに募金にご協力いただき、ありがとうございました。おかげさまで出版に必要な150万円の目標に対し143 万円が集まりました。不足分も今後の販売で埋めていくことができる見込みです。本の概要は以下のとおりです。

書 名 派兵国家への道 
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体 裁 四六判(128_188ミリ)
    上製カバー装・304頁
価 格 5,000円(本体価格・税別)
出版社 港の人
   〒248-0014 鎌倉市由比ガ浜3-11-49
   Tel.0467-60-1374

西沢優遺稿集刊行委員会 上田耕一郎
浦田 賢治
榎本 信行
土井 一清
内藤  功

同 事務局       松尾 高志
大内 要三
杉山 隆保

本書の成り立ち

 この本は友人たちの募金により刊行された、西沢優さんの遺稿集です。

 1987年に定年退職した西沢優さんは2003年に逝去するまで、市井の軍事評論家として平和市民運動の中で大活躍しました。なだしお事件、日航機墜落事件、自衛隊クーデター計画、沖縄「ゾウの檻」訴訟、えひめ丸事件、アフガン戦争、ビッグ・レスキュー、有事法制等々のテーマで東奔西走した彼の姿は、多くの人々の目に焼きついています。

 この間に西沢さんが執筆した多数の雑誌論文と、各地で熱っぽく語った講演記録は、日本が派兵国家となっていく姿を鋭くとらえ深く分析しており、今後もなお民衆の立場から軍事・安保問題を研究するために不可欠の文献と思われます。しかし残念ながら多くは小部数の刊行物に掲載されたため、その全容を知ることは容易ではありません。

 西沢さんの友人一同は、これらの文章を集めて一冊の本として刊行し、彼の仕事を長く後学の者に役立てるとともに、彼の業績を顕彰したいと考え、西沢優遺稿集刊行委員会をつくり募金活動を行いました。

 募金の呼びかけには、上田耕一郎、浦田賢治、榎本信行、土井一清、内藤功の五名が当たりました。委員会事務局として松尾高志、杉山隆保、大内要三の三名が実務を担当し、大内が編集の任に当たりました。

目次

本書の成り立ち

日米安保条約「再定義」とは何か

IDDN(防衛統合ディジタル通信網)はこう使われる

海の有事体制はどのように準備されているか

ビッグ・レスキューとは何か

えひめ丸・米原潜衝突事件でわかったこと

新ガイドライン下の自衛隊大変貌

米英の対テロ報復戦争と自衛隊「戦時」派遣

自衛隊とクーデター問題

米日共同の作戦シナリオ


迫悍

徹底した西沢流日米共同作戦の実態的究 上田耕一郎

軍事評論家としての西沢優さん 浦田賢治

西沢さんの思い出−情熱的な理論家 榎本信行


西沢優・著作目録
西沢優・略年譜

西沢優・略年譜

1925年11月8日、東京都生まれ。父宗次郎、母はるえ、一男三女の長男。

1945年9月、旧制長野工業専門学校(現信州大学工学部)通信工学科卒業、逓信省長野逓信局に就職。
   逓信技官として電話・電信の技術問題の調査に当たる。
1949年 電話技術に関する発明考案で逓信大臣賞受賞。
1950年代 レッドパージのため失職、東京に出て日本共産党の地区委員会、東京都委員会勤務貝として働く。
1960年代以降 日本共産党中央委員会理論政策部に勤務、機関誌『前衛』の編集はかを担当。
1970年9月、米軍占領下の沖絶県の実態を調査、これを契機に軍事・戦略問題の調査・研究に乗り出す。
1989年 日本共産党中央委員会勤務を定年退職、以後は市井の軍事評論家として
   『世界』『朝日ジャーナル』『丸』『世界の艦船』等に論文を執筆、
   『週刊プレイボーイ』『週刊ポスト』等にコメントを発表、市民平和運動の中で活魔。
2003年1月17日 胆管がんにより没。
千尋夫人との間に一男二女があった。
長男慎、長女千聡、次女千鶴。優とともに長野県坂城町の西沢家墓所に眠る。

本サイト内で読める西沢論文

えひめ丸・米原潜衝突事件でわかったこと(2001年6月19日 平権懇学習討論会)
米英の対テロ報復戦争と自衛隊「戦時」派遣:1
  
平権懇15周年記念シンポジウム(2001年12月8日)
米英の対テロ報復戦争と自衛隊「戦時」派遣:2
  
平権懇15周年記念シンポジウム(2001年12月8日)
自衛隊は無法者となる 1 自衛隊法改正案を読み解く(2002年5月 9日)
自衛隊は無法者となる 2
 自衛隊法改正案を読み解く(2002年5月 9日)

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