2004年(ワ)第9274号 違憲行為差止等請求事件
原 告 杉山百合子
被 告 国
について
東京地方裁判所民事15部御中
原 告 第 5 準 備 書 面
原告 杉山百合子
【1】判決により救済されるべき法的根拠について
1:民事訴訟におけるこの請求の形式上の意味・
2:平和的生存権の国際法上の根拠
3:平和的生存権の国内法上の根拠
(1)生存権
(2)軍隊と武力の放棄
4:武力紛争の際の中立国の立場
5:争訟性
【2】自衛隊のイラク派遣の違法性について
1:アメリカのイラク攻撃の違法性-----国際法上の根拠
2:自衛隊派遣の違法性----国内法上の根拠
3:公共性ある行為と違法性との関係
4:立証責任について
第2準備書面において、弁論予定を提出しましたが、今回は第6準備書面に予定していた「判決により救済されるべき法的根拠」についてと、関連して「平和的生存権の法的根拠」について、また、これまで主張してきました、「自衛隊のイラク派遣の違法性」の補足をさせていただきます。
【1】判決により救済されるべき 法的根拠について
1:民事訴訟におけるこの請求の形式的上の意味
私は生まれたとき、日本国憲法のもとで生きる権利を手に入れました。これは、この国に生まれた個人と国家との契約です。この憲法のとおりに国を運営するという約束です。しかし、憲法に書かれたこれらの言葉は、履行されないときにそれを黙認すれば、それは空の手形を握らされたと同じです。
私はこの裁判で、国を運営する権力に対し、契約を履行することを求めます。請求の趣旨の自衛隊の派遣差し止めは、契約の完全な履行を求め、今後の損害の救済を求めるものであり、損害賠償は国家の契約不履行による権利侵害に対する賠償請求です。
根拠の一は、憲法前文、第9条、第11条、第13条、第14条、第25条などです。
2:平和的生存権の国際法上の根拠
国家の武力の行使は法の支配を受けず、武力の行使が正当化された世界では個人が法に守られないこと
よく、「アメリカは世界の警察官を自認している」という言い方をされます。
しかし、警察と軍隊は全く違います。まず、警察は刑法に違反するものを取り締まり、違法状態を是正するのが目的であり、必ずしも武力を行使するわけではありませんし、相手に危害を与えるのが目的ではありません。違法状態の宣言や犯罪の終結を呼びかけるなど、政治でいえば外交に当たることも行います。そして何より、その行動の全ては法の支配下にあるということです。万が一、相手に傷を負わせた場合、それが正当防衛や緊急避難や、その他どうしてもやむを得ない行動であったかどうか、厳しく問われることになります。そうでなければ法により有罪とされ、刑に服することになります。
一方、軍隊による戦争はどうでしょう。この世界で戦争の悲惨を乗り越えてきた人々・国々は戦争・武力の行使が人間の安全を保障しないことを認識しあい、武力行使を違法化するための様々な努力を続けてきました。
ご存じのように、第一次世界大戦以前には、戦争は国家間の接触の一形態であり、今では「侵略」とされる行為も単なる「開戦」として認められていたそうです。けれども、1919年の国際連盟規約、1928年の「戦争放棄に関する条約」、1945年国際連合憲章、1970年「国際連合憲章に従った諸国間の友好関係および協力についての国際法の原則に関する宣言」など。そして現在においては、自衛又は国連によるもの以外の武力行使は認められていないのです。
それにもかかわらず、武力衝突や侵略は行われてきました。しかしそれを法的に裁く場はあるでしょうか。前述の国連憲章や条約は役に立っていないのでしょうか。国連では、安全保障理事会において、戦争を行った当事者が権力を持ってその判断を左右します。その国連の規程に基づき設置された国際司法裁判所は、国連加盟国の全てが当事国です。国際司法裁判所は選択条項受諾宣言を行いました。これは、その判断を受けることを紛争の一方国の請求のみで双方の義務とする条項を宣言です。けれどアメリカ・中国・フランス・ドイツ・イタリアなどがそれを拒否しているので、判決の力は全く弱いものになっています。
つまり、国家の行う武力行使には、その権力と離れた立場で裁くことのできる司法というものが存在しないのです。法治国家に生きる私たちや法の支配を望む世界の国々、そこに暮らす人々にとって、法の支配を否定する軍事力の行使は、生存権の侵害です。
裁判官の皆様にお願いします。軍隊に対し、その力の行使によって法の無力化を招く前に、それ自体が法をないがしろにする違法な存在であることを確認して判断して下さい。自衛隊の派遣は、法治国家の国民が、無法地帯に送られたということです。そしてその軍隊という機能により、所属する人々は違法な行為を強いられる危険があります。放置しておいていい事態ではありません。
甲第76号証を提出します。外務省発行の国際協力プラザ2004年10月号です。これは、1955年に開催されたアジア・アフリカ首脳会議の第一回会議の様子です。ここから、以下に引用します。本年4月に小泉総理大臣が行った演説が話題になったAA会議は、この第一回がインドネシアのバンドンで行われたことでバンドン会議と呼ばれています。
日本を含むアジア23カ国、アフリカ6カ国の首脳、外務大臣らが参加。AA諸国の民族自立と国際平和を求めて議論を行いました。
同会議は人種差別非難、核実験反対などの決議を満場一致で採択。またAA諸国間の経済・文化協力の必要性を訴え、国際平和と協力の促進に関する宣言として、
(1)基本的人権と国連憲章の尊重、
(2)主権と領土保全の尊重、
(3)人種・国家の平等、
(4)内政不干渉、
(5)個別・集団自衛権の尊重、
(6)大国を利する集団防衛体制反対、
(7)不侵略、
(8)紛争の平和的解決、
(9)協力促進、
(10)正義と国際義務の尊重
からなる「平和の十原則」を採択しました。
この十原則に込められた思想は「バンドン精神」と呼ばれています。新興独立国間あるいは新興国と先進国間の関係を律する基本的原理として国際社会に宣言されたもので、AA諸国の共通理念として定着しました。
AA地域の旧植民地諸国が主体的に初めて一堂に会したこと、反植民地主義、平和共存を謳ったこと、AA諸国の連帯と協力を確認したことなど、AA諸国の覚醒と連携のきっかけとして、バンドン会議の意義は今日でも高く評価されています。
すでに50年前に宣言された、この「大国を利する集団防衛体制反対・不侵略・紛争の平和的解決」の理念に戻り、東アジアの私たちと西アジアのイラクの人々との平和を回復して下さい。
3:平和的生存権の国内法上の根拠
(1)生存権
甲第77号証を提出します。この判例昭和44年12月24日 最高裁大法廷・判決 昭和40(あ)1187 公務執行妨害、傷害(第23巻12号1625頁)によれば、「二 何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有し、警察官が、正当な事由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し許されない。」とし、憲法第13条を根拠に、人格権を具体的権利とすることが認められています。
私は、この憲法第13条自体の文言に書かれている「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」と憲法第25条の「国民の生存権、国の社会保障的義務」をまず私の権利の憲法上の根拠であると申し上げます。前文の「平和のうちに生存する権利」と第9条「戦争の放棄。戦力の不保持、交戦権の否認」はそのための前提であり、第11条「基本的人権の普遍性、永久不可侵性、固有性」、第14条「法の下の平等・・・」など、
その他の権利は、特定の誰かだけでない、一人ひとりの生存権を保障する後ろだてであり、方法です。
第11条や第14条、第25条など後者の権利がが保障されなければ、弱い立場に立たされた人は生きることができにくくなります。しかし、前者の平和に生きる権利が保障されなければ生存自体が危うくなります。これは、生存の前提です。
(2)軍隊と武力の放棄
現在、憲法第9条の交戦権の放棄について、自衛権がありやなしやと議論が分かれているようですが、制定初期には「自衛権も放棄した」という判断が大方であったことはどちらの立場の人も認めるところであると思います。吉田茂首相の「侵略でない戦争はなかったから、戦争放棄とはつまり自衛戦争も放棄したのだ」という趣旨の発言は有名です。
慶應義塾大学の通信科、法学の教科書の抜粋を甲第78号証として提出します。これは昭和49年の版ですが、初版は昭和24年なので、旧仮名遣いです。ここにも確かに「新憲法は戦力を放棄し、戦争を放棄し、武力の行使を放棄し、更に徹底して自衛のための戦争および武力行使まで放棄している。世界の立法例としても、その徹底した平和主義において、まことに画期的なものである。」とあります。
この昭和24年から49年までの時期、日本国憲法は確かにどこから見ても一切の武力行使を放棄していたのです。
では、その後、武力行使の必要性が増したのでしょうか。武力を行使することが国民の利益になる事態が発生したのでしょうか。長いこと、活躍しないで済むことが理想だと言われ続けた自衛隊が活躍するような事態がどこに生まれたのでしょうか。隣り合う国との戦争が、むしろ国民の危険を呼ぶことは誰の目にも明らかです。万が一、近隣諸国で国家同士の武力衝突が起きた場合、複数の国で保持する核物質の飛散がこの国の頭上に及ぶことは明らかです。最大の安全保障は、武力を行使しないことです。また、様々な形で国家でない拡散した、テロといわれる武力行使の危険も増したといわれています。それは、軍隊というもので防げるものでないことは、9.11事件を見ても明らかです。
また、憲法において、ほかの権利については、憲法の存在を超える自然権とも言われる基本的人権さえ書いておきながら、軍隊についての規定が、「禁止」以外に全くないことも放棄の状況証拠といえます。自衛権は自明のことだというなら、基本的人権はさらに自明の権利ではありませんか。そして、言うまでもなく自衛権は武力だけではないからです。国家の3つの基本的権力:立法・行政・司法について触れながら、それらのすべてを損なう危険のある強力な権力である軍隊について、認めているならば触れていないのはおかしいことになります。規程がないのは、存在を想定しないからに他なりません。
証拠説明書>>>